みなさん,こんにちは。
私たちは,通常,自身の外側の状況について,感覚器官を通じて認識しているとしています。そして,その感覚をもとに自身が思考して,出来事への対応,選択,決定などをしていると考えています。
感覚器官とは,いわゆる視覚,聴覚,皮膚感覚,味覚,嗅覚になりますが,私たちは,何かの会議に参加した時に,その場の雰囲気を感じていたり,人と接する際に,その人のオーラのようなものを感じ取っていたりしていますよね。
ですので,誰もが第六感のようなものを持っていて,それを認識したり,あるいは無意識にそれを感じ取って生活しています。
以前の 考えずに感じてみる というブログに,思考するだけでなく,自身の内面に湧いてくる感覚を感じることの大切さを書きましたが,今回は,その湧いてきた感覚の感じ方といった内容になるでしょうか。
私たちは,大きな出来事に対して湧いてきた明確な感覚であれば,それを言語化して「〇〇な気持ち」として認識しますよね。何かスポーツ競技をしたり,あるいは応援したりしていて,負けてしまった時に「悔しい」と感じるように。
しかし,日々の小さな出来事であったり,大きな出来事であっても,そこにあるなんとなくふわりとある感覚は,あったとしても認識していなかったり,言語化されずにそのままスルーしてしまって,その上に他の感覚が上塗りされていきます。
その「ふわりとある感覚」を,アメリカのカウンセラーであり哲学者であるユージン・ジェンドリンは『フェルトセンス』と名付けました。
フェルトセンスが,ウキウキとした軽やかなものであればまだいいのですが,モヤモヤとした妙に重みのあるもので,それがないがしろにされることが続くと,それが否定的な思考として表出してきます。
すると,通常,思考を自身の考えだと思っている私たちは,周囲であったり自身を否定的に捉えることで認識し,それがトラブルに発展してしまうことも考えられるのです。
ですので,なんともつかみどころのない,モヤッとしたものを感じた時には,まず,ゆっくりと息を吐き出して,そのモヤッとしたものが,身体のどのあたりにあるのか注意を向けてみてはいかがでしょう。
それは,頭のあたりでしょうか,それとも,胸,腕,お腹,腰,脚,どのあたりでしょう。そして,それに形や大きさがあるでしょうか。雲のようにフワフワしていますか,それとも,トゲのようにチクチクしていますか。
大きさは,こぶし大くらいのかわいいものでしょうか,それとも,抱きかかえるほどで圧迫を感じるほどでしょうか。そして,それには,灰色だったり透明であったりの色はついていますか。
これらは,先ほどのユージン・ジェンドリンの『フォーカシング』という技法の一部になります。
身体の中にあるそのフェルトセンスに,何か名前をつけることができるでしょうか。また,それば,あなたに対して,何かメッセージを発していないでしょうか。そして,あなたから,それに対して,優しくかけてあげられる言葉はないですか。
日中はバタバタしていて,フェルトセンスへ注意を向ける余裕がないようでしたら,就寝前にでも,注意を向け感じてみることをお勧めします。気持ちの棚卸しといったところでしょうか。
私たちに生じる出来事には,必ず,私たちへのメッセージが含まれています。こうしてフェルトセンスへ注意を向けていく中で,きっとそのメッセージを受け取ることになることでしょう。
そして,そのメッセージには,私たちが生きていくことに対しての意味が含まれています。一見,否定的に思えるような出来事にも,私たちに対する,肯定や否定のできない大切な意味があるのです。
何があったとしても,きっとそれに自分なりの意味を感じて生きることができます。その時,逃げるしかなければ,まずは,逃げることもひとつの手ですし,いずれにしても大丈夫ですよ。
最後までブログを読んでいただきどうもありがとうございます。