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感謝

 

こんにちは。

 

昨日,『感謝』について改めて考える機会がありましたので,今回は,そのことについて書いてみたいと思います。

 

みなさんも感謝の大切さについて聞かれたり,目にするすることは,少なくないのではないでしょうか。私もよく耳にしますが,それに何かしっくりせず,自分自身で「感謝の少ない人間だな」「もしかして,感謝できない人間なのかな」なんて思ったりしていました。

 

『感謝』という言葉って『お礼』をイメージしますよね。人が他の人を思ってした行いについて,たとえ,見返りを求めていないにしても,してもらった人から,「ありがとう」の一言があるとないのとでは,その後の流れが異なることは容易に想像できます。

 

そうした時に,すっとお礼の言葉が出てくるかどうか。ちょっとしたことをしてもらっても,してくれた相手の気遣いや思いを慮るといいますか。感謝の大切さは,一つにはそうした意味合いもあるように思います。

 

そして,これも耳にすることがあるかと思いますが,「ありがとう」を漢字にすると「有り難う」ですね。「有る」ことが「難しい」となります。当たり前ではないことに対して,「有り難い」と感謝の念が湧いてくるのです。

 

してもらったことに「ありがとう」というお礼が,反応的に言葉にすることに対して,当然ではないことに対する「有り難い」とうい感謝の念は,湧いてきたものを感じとるものになります。

 

感謝の念の少ない私は,当然に恵まれた状態にあって,それが当たり前になっているということですね。お恥ずかしながら。

 

私事ですが,今年は,妻が病気をするという出来事がありました。2度の手術を行い,いつも傍にいて,私の身の回りのことをしてくれることが当然ではなくなったんですね。そして,傍にいること自体が,当然ではなくなることも想像したりしました。

 

近しい人を亡くされ,それ以上の想いや感情を感じてこられたた方も,多くいらっしゃるのではないでしょうか。今さらと思われる方もおられるかもしれませんが,そのような経験などから,「有り難い」という感謝の念は湧いてくるのですね。

 

よくよく考えてみると,この世に当然にあることなんて何ひとつありません。いつも顔を会わせる家族や職場の仲間はもちろん,街にでかけるために利用するバスや電車,友人と食べたランチなんかも,自分以外の人などが在ることで成り立っています。

 

してもらったことに対する,お礼の「ありがとう」も,本来的には,そうした,当たり前ではないという意味合いでの「有り難う」なのですね。

 

そして,そうして自分以外のものを感じることができるのは,自分がこうして在るからですものね。人間は,誰一人としてもれなく,いずれ死にますし,その時期というのは誰にもわかりません。

 

私たち自身が,こうして在ること自体が,当然ではないということですね。そう考えると,自分自身も含め,すべてのものが尊く感じられてきませんか。

 

ちなみに,私の妻は,辛い時期を乗り越えて,今は元気に過ごすことができています。そして,ついついそれがまた当たり前になって,些細なことで言い争いをしてみたり。

 

たまに,自分でこのブログを読み返さないといけませんね 笑

 

最後までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。

 

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