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悪気はない

 

みなさんこんにちは。

 

自分でタイトルを打っていて,「悪気」って言葉に強い否定的な雰囲気を感じてしまいました。夜中の雑木林とわら人形がイメージとして浮かんだりなんかして…。でも実際,他者に対して,そこまでの悪意をもって言動に移す人がどれだけいるでしょうか。

 

私たちは生活をしていて,自分が不利な立場に立たされたり,自分の意図したことが他者に遮られたりすると,つい被害的に捉えてしまうことがあります。車を運転しててもそうです。遅く走る前の車が,自身の運転を邪魔しているように感じられたり,後の車との車間距離が少し短く,そのまま同じ道を走ってたら,悪意をもって車間を詰めているように思ったりすることってありますよね。

 

そのように捉えやすい時って,私たちが急いでいたり,気持ちの整理ができていなかったりで,余裕がない時だったりしませんか。体調が優れなかたり空腹であるときなんかもそうかもしれません。そして,そんな時の私たちは自我に同一化している状態といえます。自我は前の自我ってなにというブログに書いたように役割でしたね。

 

私たちが急いでいる時は,仕事上の役割やグループ内での役割などと自分が一体になっているでしょうし,体調が悪い時なんかは,〇〇〇〇という名前の人間と自分が一体となっています。そんなことを言うと,「えっ,身体をもった○○○○という人間が自分じゃないの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし,これも以前のどこまでが自分なの?というブログに書いたように,私たちの存在をよくよく観てていくと,あなたは一人の人間の中には収まらなくなってしまうんです。でも「私(I am)」という意識は確かにありますよね。そこと役割とが一体になっているというのでしょうか。「私は父親だ(I am a father)」みたいに。「I am」が私たちで「a father」はあくまで役割です。

 

役割であり自我は,どんな人間も持っていますので,どれほど恵まれて幸福そうに見える人でも,逆にとても苦労しているように見える人でも,その役割や自我を守ろうとする思いは一緒です。みんな同じく,そのために一生懸命に生きているのです。

 

ですので,車を運転していて,前を走る遅い車に対して,「こんなゆっくりと前を塞がれると,先方との約束時間に間に合わなくなっちゃうよ…」と思っている一方で,前の車では,「大切なお客さんの自宅へ行くのはこの道で合ってるのかな…」と思っていたりします。

 

親子関係や友人,職場の同僚間などでの,加害者と被害者の生じてしまう仕組みもこれと一緒だと言えます。もしかすると,どちらも被害者になっていることもあるかもしれません。私たちが役割をはたそうとしている中で,ある人に邪魔をされたり攻撃をされたと思っている一方で,ある人も役割という自我を保つことに一生懸命で,周りが悪く見えてしまっていたりするのかもしれません。

 

そう考えると,各々が自我という役割に一生懸命となっていることが本質的な目的であって,悪意も含めてそこに悪気はないと解釈することもできませんか?

 

だからといって,法律やルールを犯すことは容認できません。罪を犯せば罰せられ,その罪をしっかり償う必要があります。ただ,罪を犯してしまった人の養育環境やそれまでの経緯をみてみると,恵まれていないことが多く,その状況下で自我という役割を保とうとする中で犯罪を犯していることは少なくありません。やはり本質的な仕組みはみな同じなのです。

 

私たち人間は経験したことからしか学習できません。経験していない世界はその人の中にはないのです。見たことのない場所を絵にすることができないように,自分の中にないものを表現することはできませんよね。私たちは,各々の限られた世界の中で,自我という役割を果たそうと,誰もみな一生懸命なのです。

 

その中で,自分と仲が悪くなってしまったあの人も,自我という役割を果たすのに一生懸命であっただけで,そこに悪気はなかった。そう考えると,私たちに,私(I am)という意識があって,仲がよくても悪くても,各々が役割を持って,今ここでそのように関係し合えていること自体が,じつはとても有難く尊いことのように思えてきませんか。

 

だからといって,苦痛な関係をそのまま続けていく必要はありません。人との関係に疲れたり悩んでしまうことが多い場合は,あなたが一体化してしまっている自我から距離を取ることが大切になってきます。そして,その自我がどのように外の世界を解釈しているのか,そして,どうして悪気の伴っていない出来事をそのように解釈してしまうのかを,掘り下げて観ていくことです。

 

そこに気づきが起きてくると自我は癒されていきます。すると,癒された自我から観る外の世界の解釈も変わっていき,他者の言動に対する捉え方も変化していくのです。

 

最後までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。

 

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