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天下の回りもの

 

みなさん,こんにちは。

 

先日,あるお金に関するニュースを読んでいて,何だかちょっと違和感を感じましたので,今回は,それについて書いてみたいと思います。こうして書くことで,私の感じた違和感も日の目を見て癒されます。

 

みなさんが,ブログを読んでくださってのことです。ありがとうございます。

 

そのニュースの一つは,国税庁の民間給与実態統計調査についてのものでした。

 

現在の日本人の平均年収は,30年前より上がらずに同じなんだそうです。そして,20代より60代へ世代が進むにつれて平均年収は増えていく。

 

それで,高収入のめやすとされるのが,年収600万円以上とのこと。記事では,年収600万円での実際の手取り額はいくらなのか例示して,家族を養うのに十分かどうかを,物価の上昇や老後2000万円問題も取り上げて問いかけます。

 

それと,もう一つのニュースが,年金の減額に関するもの。令和4年6月より,前年に比べて0.4%減額されるとのこと。

 

老齢年金の受取を始める年齢は原則65歳で,それを最大60歳まで繰り上げたり,75歳まで繰り下げたりできる。ただし,繰り上げれば月々の年金額は減り,繰り下げれば増えるそうです。

 

記事では,丁寧に年金の受給を繰り下げた場合,何歳になれば65歳で受給するよりも生涯での総年金額が増えるか,平均寿命も取り上げて計算してあります。そして,年金を早くもらうか遅くもらうかの判断が難しいのは,自分の寿命が分からないからだと書いてある。

 

話は変わりますが,この記事を読んで,以前,私の両親との車内での会話を思い出しました。私が,夫婦のうち,夫が先に亡くなってしまう確率が高いことを話した時に,母親が「男と女で死亡率が違うんかね?」と。私は,「いやいや,男も女も死亡率は一緒,100パーセントじゃろ 笑」と返答した。

 

生きている人間がいつか必ず死んでしまうことは,周知の事実ですよね。そして,その期日というのは誰にも分からない。でも,こうして存在していると,私たちはついその事実を忘れてしまう。

 

そうであれば,生涯の総年金額なんか計算せずとも,その時に必要であれば,受給すればいい話ではないかと思ったのでした。好きなおかずを食事の先に食べてしまうか,後に残しておくのかと同じように。いや,同じじゃないか 笑

 

そして,先ほどの年収に関するニュースでは,高収入と言われる年収でも,本当にそれで十分なのか,将来の資金準備が難しい時代になったと唱える。

 

そんなこと言われると,私たちの中にはモヤッとしたものが湧いてきます。「今,こんな生活を送っていて,私や家族の将来は大丈夫なのだろうか」なんて。

 

確かに,家計や資産の管理はある程度は必要でしょう。しかし,私たちの将来がどうであるかなんて誰にも分からないのです。

 

不安を煽られてモヤッと湧いてくるもの。それは,前回の やり過ごす力 というブログにも書いた,私たちが「個」として存続しないといけないという,共有している深くにある思い。それはそれで,自分の内面を見つめ,認識し認めてあげましょう。

 

ただ,ある経済理論では,経済はゼロサムゲームだと言われます。限られた資源の中で,一方の利益が増えれば他方の利益は減ることになる。そうであれば,お金もその中で循環している一つの要素。

 

そう考えると,自分のものだと思っているお金も,一時的に預かっているものだとも思えてきませんか。お金をただ貯め込んでいたのでは,他への循環は止まってしまうので,有効に使うことも必要かもしれませんよね。

 

そして,循環しているのってお金だけなのでしょうか。

 

私たちは,空気を吸っては吐いています。それを他の植物や生物が吸っては吐いて循環している。同様に,私たちに見えるもの見えないもののすべてが,巡り巡って今こうして存在しています。

 

そう考えると,私たちが自分だと思っているこの身体も,一時的に借りているとも思えてくる。そんな中で,今,こうして存在して関係し合えている,れだけでも十分過ぎるほど十分なことなのではないでしょうか。

 

私たちは,そんなことは当たり前すぎて,自分を他とは繋がっていない「個」だと認識し,それを護らなければという思いを抱えて生活しています。そこに不安や問題が生じてくるのです。

 

本来は,私たちはこうして,今,在るだけで幸福なんですね。将来のお金を気にし過ぎずとも,その幸せを日々感じて生きていることで,繋がってる他のものから恵みがもたらされることでしょう。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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