こんにちは。
みなさんはFacebookをされているでしょうか。私はアカウントを登録しています。そこからこのブログへ来てくださっている方もおられるかもしれませんね。
昨年,Facebookが社名を「Meta(メタ)」へ変更したニュースが流れ,最近,「メタバース」という単語を目にする機会が増えてきました。
メタバースとは,どうやら,仮想空間で人と繋がって遊んだりできることで,すでに一部のゲームではそれで没入感が得られやすいのだとか。また,今後はビジネスにも利用されていくそうです。
私はゲームにまったく馴染みがなく,実感が湧かないのでゲーム配信動画を観てみました。動画では,自分に見立てたキャラクターを使って,ゲームの中で釣りをしたり,食事をしたり,何かを探したり,戦ったりなどしています。
私にはやはりピンときませんでしたが,これが更にリアルになって,そこに価値が生じてくるということなのでしょう。仮想通貨での売買なども生じてくるとのことですから。
画像もどんどん繊細になって現実に近づき,そのキャラクター(アバターというらしいです)に没入して,それを自分自身だと錯覚するようになるのでしょうね。
その中で,自分自身に何が起きようとも,仮に想像した中でのことなので,現実の自分は安全が確保されていて問題ありません。それは,ただ,思考の中で経験しているだけですから。
では,その安全が確保されている現実の自分は,どうリアルに生きているのでしょうか。
仮想空間とは違い,五感を通じて感じ取ることができますからより現実的です。
見たり聞いたり味わったりしたその感覚は,「~がある,~が起こった」と知覚に転換され,過去の経験と照合したりして,それに対する感情や思いが湧いてきます。
そして,それは私たちが気づかないうちに,自動的,瞬間的に展開しています。
また,私たちがどこまでリアルな感覚を,ありのままに捉えているかも定かではありません。
月曜日の朝,通勤前に食べた朝食のパンの風味,会社に向かって歩いている時に素肌をなでる風の感触,一歩一歩足の裏から伝わってくる振動を,そのままに感じ取っているでしょうか。
おそらく,思考の中では忙しく,仕事のノルマや提出する資料の内容,苦手な上司や同僚のことなどが,湧いては消えてを繰り返しているのではないでしょうか。
そうすると,現実では,身体でリアルに感じることはできますが,それ以外は,仮想空間と同じく,思考の中で経験しているとも考えられないでしょうか。
先日,友人と食べたあの美味しかったスイーツも,何もないところで躓いてしまった恥ずかしい経験も,新しい部署でうまくやっていけるかという不安も,すべて思考の中にあります。
究極的にリアルなのは,今ここに私たちがあって,そのすべてを認識しているという気づきだけです。
スイーツを食べて,あまりの美味しさに思わず声が出たこと,人前で躓いて顔が赤くほてってしまったこと,新たな環境で先の見えない鬱々とした思いを抱いていることについても,私たちは,その私があるという気づきから分かってはいませんか。
それは,あたかも,仮想空間でキャラクターが高い崖の上から落ちてしまったり,敵に銃で撃たれてしまっても,平然とそれを認識して楽しんでいる現実の私たちのようです。
私があるという気づきから捉えると,現実だと思っている私も仮想空間の中のキャラクターのようにも思えてこないでしょうか。操作するコントローラーはなく,映画の主人公になりきったように目の前で出来事が展開していきます。
何が展開されていこうとも,私があるという気づきはいつも安全で安心です。
ただ,現実のキャラクターも,人それぞれに,いわゆる死がもれなく訪れるという使用期限があります。そして,その期限は事前に決まっておらず,いつゲームオーバーとなるかは分かりません。
そのように考えてみると,私たちは,現実のキャラクターに没入し過ぎず,もっとおおらかでかつ大胆にこの人生というものを楽しんでよいのかもしれませんね。
最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。
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