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幸せってなあに

みなさん,こんにちは。

 

先日,ようやくコロナワクチンの1回目を接種してきました。なかなか予約を取る事ができず,いつになることやらと思っていたところ,関わりのある病院より「接種がまだでしたらどうですか?」とご案内いただいたのでした。当日も丁寧に対応していただき,大変ありがたく感じたしだいです。

 

私たちは,事が思い通りにうまく運んだり,物理的,精神的に充たされた時に喜びを感じ,その状態を「幸せ」という言葉で表現しますよね。また,そうした「幸せ」を求めて日々の生活を送っていると言えるのではないでしょうか。自分の「幸せ」だけでなく,家族や友人,社会的に恵まれていない人などの「幸せ」を思って活動されている方も多くいらっしゃいます。

 

「幸せ」の定義は人それぞれでしょうけども,「幸せ」を「幸福」と表現することもありますよね。ビクトール・フランクルは,「幸福」で得る喜びについて,「価値把握という志向的行為の遂行のうちにのみ実現されうる」と書いています。ちょっと難しいですが,「幸福」から得る喜びは,人が価値を感じる事に対して行動する中で得ることができるということでしょうか。

 

例えば,山を登ることに価値を見出し,山を登った後に頂上より眺めた景色から幸福を感じます。それはきっと,ロープウェイを利用して登った,山頂からの景色を眺めた時の喜びとは違うのではないでしょうか。より高い頂上の景色を眺め,より大きい喜びを得るためには,その分長い山道や急な勾配を登る必要がありますので,そこに相応の苦労が伴うことは想像がつきます。

 

ただ,私たちの人生では,苦労がすぐに返ってくるとはかぎりませんよね。何か強い意思があって取り組んでいても,事がうまく運ばずに悶々と苦悩の日々を過ごすことも往々にしてあることです。しかし,その価値を信じ,引き続き取り組んでいく中で,ふと転機が訪れ必ず好転していきます。そして,その時に感じる幸福感はひときわ大きいでしょう。

 

そう考えると,「幸福」は「苦悩」と共にあるのであって,その二つはセットであると言えそうです。苦悩している人に対して,「明けない夜はない」「日はまた昇る」と励ましますが,これらは的を得た言葉と言えます。苦悩が続くと,どうしてもその先ずっと真っ暗なように考えてしまいがちです。でも,「苦悩」と「幸福」が一つであると腑に落ちると,悲観ばかりではなく,少し気持ちを楽に構えてられませんか。

 

また,学生時代の苦く辛い経験について,社会人になってみて,その経験を経て得られた何かを感じるように,「苦悩」と「幸福」の繋がりを,数十年単位で感じることもあるのではないでしょうか。ですので,苦悩が多い方はぜひ長生きしないとですね。今後,徐々にその「苦悩」から生じた「幸福」を感じられるわけですもの。

 

鈴木秀子さんは,「幸せ」について次のように書かれています。
「成功の周りに幸せが集まるのではありません。地球が太陽の周りを回っていたように,幸せこそが不動の中心であり,成功はその周りを回っているに過ぎなかったのです。」
「幸福」についてのコペルニクス的転換です。「どんな状況であれ,幸福を感じて過ごす中で,成功と呼ばれるような状況が生じてくる」ということでしょうか。

 

私も本質的にはそうなのではないかと思っています。いまが幸福でなく,「いつか来る幸福」を求めていると,その時が来てもまた「いつか来る幸福」を求めてしまって,不足感が続いていくだけになってしまいます。社会生活を過ごしている私たちには,その立場によって良い状況や悪い状況があって,そこに先ほど書いた苦悩や幸福を感じています。その苦悩の中にも幸福の種がまかれているのですから,苦悩であれ,幸福であれ,そうしたことを感じられること自体が「幸福」な状態ではないかと思うわけです。

 

例えるならば,すべては自分の中にというブログの中でお話しした,映画館で放映されている映画が私たちの人生だとします。私たちの人生である映画のストーリーは波瀾万丈です。でも,本来的な私たちは,映画館で椅子に座って,ポップコーンを片手にそれを観ています。映画という人生の中で何があろうと,本質的な私たちは充たされていて,そのハラハラドキドキを楽しんでいるといった感じでしょうか。

 

なんだか,妄想的な内容になってしまい恐縮ですが,ただ,このことを少し信じてみても損はないのではないでしょうか。
「私はすでに幸福である」と「幸福」を選択してみるということです。それは,目の前の問題から逃避するということではなく,何が起こっていようとも,その根底にはいつも絶対的な安心があるような感覚です。そして,その選択はその人だけではなく,すべての人の「幸福」を信じるということでもあります。

 

しかし,それだと,「困っている人もみんな幸福だと解釈すればいいの?」と思ってしまいそうですが,苦悩している人に対して「それがあなたの幸福なのだから」と解釈することではなく,その人にも根底には絶対的な安心があり,その「幸福」にきっと気付く時が来ることを信じて関係していくということです。

 

「幸福」を選択してみようと思われた方は,なにかふわっとほのかに暖かなものを感じられてないでしょうか。ふと気付いてみると,ありふれた日常の太陽の日差しや草花などの色合いが,これまでよりもより鮮明に感じ,心なしか気持ちも軽くなっているかもしれません。

 

今回もブログを最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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