みなさん,こんにちは。
前回のデジタルとアナログというブログに,般若心経の中の「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」という有名な言葉を引用しました。それを現代語に訳すと,「この世の物質現象(色)は実体がない状態(空)であり,実態がないという状態(空)は,物質現象(色)である」でしたね。
今回は,そこをもう少し掘り下げて書いてみたいと思います。
「色即是空 空即是色」の現代語訳を簡略化すると「物質現象は有るけど無い,無いけど有る」でした。「有るのか無いのかどっちなんだよ!」と思われる方も多いかもしれませんね。私は,物質現象が有って無いのはどちらもそうであり,それはコインの表と裏のようなものだと考えています。
表だけしかないコインなんてありませんよね。かならず裏を伴っています。ちなみにこれは,私たちが日常的に使う「良い-悪い」「きれい-汚い」「多い-少ない」などといった概念も一緒ですよね。もう一方なくしては存在できず,両方でセットになっています。
では,物質現象が有って無いということはどういうことでしょうか。私たちが有るとしている物質現象の全ては,常に流動して繋がっているため,本質的には存在していない。私たちが自分だと考えている身体も,常に自動的に新陳代謝を繰り返していて,身体の外から新しいものを取り入れて,古いものを身体の外に排出しています。
何億年といったとても長いスパンで考えてみると,私たちの身体もいずれその形はなくなり,その構成要素は他の物質に取り込まれていきます。そして,その物質もいずれ無くなり,他の物質の構成要素として取り込まれていく。よくよく考えてみると,全ての物質現象がそのように繋がって流動していますよね。
そうすると,私たちが物質に付けた名前は,常に繋がって移り変わっている状態の中から,一時的に切り取った概念に過ぎないということにもなります。ただ,私たちの生活している社会は,そのようにして名前を付けた物質が有ることとして成り立っています。本質的には無いけれど,社会生活上は有るんですね。
先ほど書いたように,コインの裏として,全てが流動している状態があることで,コインの表のように,物質現象として現れているのです。では,私たちは,物質現象をどのように認識しているのでしょうか。
私たちは,木に実ったリンゴを見た時,枝にぶら下がっている赤くて丸っこい物質現象を視覚で捉えます。そして,それを「リンゴ」という概念で切り取って知覚します。すると,その知覚に対して,「美味しそうだ,食べたいな」という思考が浮かんできます。また,以前に友人と行ったリンゴ狩りの記憶が蘇ったりします。
これらの認識は自動的に瞬時に行われていますよね。まるで,私たちの身体が自動的に新陳代謝しているかのようにです。物質現象が有って無いものだとすれば,物質現象を元として,浮かんだり蘇ったりする思考や記憶も,有って無いようなものと言えないでしょうか。
また,思考や記憶は,私たちがコントロールしているのではなく,自動的に浮かんだり蘇ったりしています。でも,私たちは,そのような思考や記憶を,自分たちが考えたり思い出したものとして捉えているんですね。自分たちがそうしようとしてないにもかかわらずです。
私は,自分がウキウキしたり,笑顔になるような考えや記憶ならいいのですが,嫌だと思う出来事があって,それに対して自動的に浮かんでくる考えや,その出来事の記憶が何度も蘇ったりしてしまうことを,全面的に自分のものとして捉える必要はないのではと思うのです。だって,有って無いようなものから出てきたものですから。
否定的な思考や記憶を自分のものとして捉えると,その出来事の相手に「どのように反撃してやろうか」などと,否定的な思考が更に発展していってしまいます。そうすると,結局,私たち自身が悶々とした時間を過ごし,嫌な気持ちを引きずって生活することになってしまいますよね。
有って無いような思考であれば,自分のものとはせずに,そこからその思考を追いかけていかなくてもよいのではないでしょうか。自動的に浮かんで来るものですから,その浮かんできたことを認識して,ただ認めてあげる,それでいいと思うのです。
しかし,思考は瞬時に浮かんできますので,その時は,どうしても自分のものとして捉えてしまいがちです。ただ,夜休む前など一人でゆっくりした時間にでも,思考を追いかけていってないか自身で確認してみることはできるかと思います。
そうした時に,追いかけて発展していった思考に気づいたのならば,その思考は,もうあなたの所有しているものではありませんよ。なぜなら,思考が自分から離れているために認識できているのですから。
なので,「また否定的なこと考えてた!」なんて自分を責める必要もないのです。そうのようにして浮かんで来ざるを得なかった思考を,ただ「そう思ったんだね」と認めてあげればよいのです。
最後までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。