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デジタルとアナログ

 

みなさん,こんにちは。

 

現在は,デジタルの時代と言っても言い過ぎではないかと思います。私もパソコンやスマートフォンなどのデジタル器機を使用して生活しています。このブログもパソコンで書いていますし,デジタル器機がなくては生活するのに困ってしまいます。私と同じような状況の方は,少なくないのではないでしょうか。

 

デジタルは「0か1か」の世界だと言われます。言い換えれば,「あるかないか」の世界です。そして,同じプログラムで作成されると,まったく同じものがいくつも出来上がります。パソコンで作った文書を何枚も印刷するように。同じ事をデジタルなしに行おうとすると,文書を書き写したりしなくてはならず,多くの労力を必要とします。

 

一方,私たちが生きている実質的な世界に,同じものは一つとしてありません。いわゆるアナログの世界です。『本質的な気づき』についてという最初のブログで書いたように,よくよく観てみると,すべてのものは繋がっていて,名前を付けて区別をし同じとされるものも,一つひとつを観ると違っています。

 

そう考えると,デジタルの世界は,本来的には一つひとつが異なるものを,同じものとして取り決めた架空の世界であるとも思えてきます。手書きの「りんご」という字は,よく確認すると,すべて形や雰囲気が違っているけれど,デジタル処理された「リンゴ」というまったく同じ字で,りんごと見なしてしまします。

 

実際には,りんごの「り」の字のはらいが異なっていたり,「ご」の点々の大きさが違っったりしているけれど,そこは無視して,デジタルの「リンゴ」の字をりんごとするのです。ですので,文字を手で書くと現れる,各々の形の癖や字の濃さというものは表現されません。本来であれば,あるものをないこととして取り扱うことで,簡略化して扱いやすくしているのです。

 

そうすることで,同じものがいくつも複製できたりと便利になるのですね。しかし,そこには本来あったものが無いことにされています。では,デジタルではなく,アナログの世界が,すべての含まれた現実の世界なのでしょうか。アナログの世界は,手書きの「りんご」の字でしたね。しかし,そもそも「りんご」という文字自体は,本物のりんごでしょうか?

 

実際のりんごには,一つひとつに形,重さ,色あい,風味,味わいがあり,まったく同じものはありません。デジタルの「リンゴ」の字が,手書き文字の形や濃さを無いことにしたように,アナログの「りんご」の字も,実際のりんごのもつ,それぞれの色合いや形などを無いことにしていることになりますね。

 

話は変わりますが,お経の般若心経の中の有名な言葉に「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」という言葉があります。現代語に訳すと「この世の物質現象(色)は実体がない状態(空)であり,実態がないという状態(空)は,物質現象(色)である」となります。

 

端的に訳すと「物質現象は有るけど無い,無いけど有る」です。般若心経は,「真実や本質を見抜くに境地に至る大切な教え」という意味をもっています。

 

私たちはアナログの世界で,架空であるデジタルの世界を持ち込んで生活しています。そして,言葉を使用して他者と交流して社会が成り立っています。しかし,言葉というものの本質は,実際には同じものは一つとして無く,また,常に流動している物質現象の一部を切り取って表現しているものなんですね。

 

ですので,言葉としては「有る」けれども,本質的にはすべては異なり流動していて「無い」,本質的にはすべては流動していて,言葉にできるようなものは「無い」けれども,実際に私たちの社会生活においては,言葉として「有って」それを使って生活しているのです。

 

そのように,物質現象は「有って無い」のですから,私たちから起こると考えている思いや感情も,本当に私たちから生じているのか,よくよく観てみてもいいですし,私たちがその身体だけで成り立っているのかも,改めて頭を空っぽにして考えてみてもよいのかもしれません。

 

そして,本質的には,すべてが流動して繋がっているわけですので,この世に無駄なんてなく,欠けていいものなんて何もありません。ですから,私たちもこうして「有る」そのありのままで価値があるのです。本質的には,あなたのそのままでそれだけでいいんですね。私は,現代化によって忘れられたものって,こういうものなのじゃないかなと思っています。

 

なんだか,ややこしい表現の文章になってしまい恐縮です。
最後までブログを読んでいただいて,どうもありがとうございます。

 

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