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自分を一番に

 

みなさん,こんにちは。

 

人生に悩みや生きづらさを感じている人には,とても真面目で社会の中で従順に過ごされている方が多いように思います。その方に与えられた役割を全うしようと,自分のことは差し置いて一生懸命に取り組まれます。その姿勢は,見ていてとても尊く感じさせられるものがあります。でも,なぜ,そのような方の人生に悩みや生きづらさが生じてしまうのでしょうか。

 

自分を差し置いて,役割に懸命に取り組んでいる方を見ると,私は,ご自身も大切にしてもらいたいなという思いが湧いてきます。そして,私自身はどうなのかと,先日,私が役割を解かれたら何かしたいことがあるかなと考えてみたのです。すると,出てきたものは,「昼間から一人でお酒でも飲んでだら~としたい」という程度のものでした 笑

 

しかも,それは,既に何もない休日に実際にしていることでもあります。家族や仕事仲間があるから,お店で会食しながらお酒を飲んだり,ドライブがてらに遠方まで買い物に行ったりしますが,一人の時に同じようにしたいかとなると,そんな欲求は湧いてきません。適度にお酒が飲めて,たまに美味しいものでも食べられればそれでいいんです。

 

というのも,私自身は,いまのところ,自分の人生にある程度満足しているんですね。それはなぜかと考えてみると,私自身の中から湧いてくる欲求と,現在担っている社会的な役割がある程度合っているのも一つの要因だと思うのです。プロフィールにある「気づきの相談室を開設した経緯」や,考えずに感じてみるという以前のブログに書いたように,現在の私の社会的な役割は,内面から湧いてきた欲求に動かされ,自らが背負っています。

 

しかし,以前よりそうだったわけではありません。ただ,それなりに生活していた中で子どもが誕生し,それと同時に内から湧いてくる抑えきれないエネルギーを感じた。そこで方向転換を図り,福祉医療分野へ飛び込んで,役割になりきり頑張ってみた。けれども,自身の中で何か辻褄が合わず,常に何かが不足した感覚がありました。

 

その時の私だと,休日の昼間からお酒なんか飲んでいたら,その後更に強い虚無感を感じていたかもしれません。しかし,模索をしていく中で,本質的に役割は自分ではないと気づいた。そのことで,本来の自分自身と役割とが離れ,内側からの声を感じるようになり,そこと社会的役割との間に折り合いがつくようになった。それにより,常に感じていた不足感も充たされていきました。

 

自身を後回しにし,役割と自分自身が同一化した状態で,その使命を果たそうと一生懸命になっていると,そこにある常識やモラルに沿わない人が現れてきた時に,違和感や怒りを覚えてしまいます。その違和感の中には,自身を否定されたような感覚も含まれているかもしれません。それも当然です。「役割=自分」になっているのですから。

 

そして,そうした出来事を契機としながら,人間関係に悩みを抱えたり,生活していて何か空虚感を感じてしまったりといった不具合が生じてきます。社会的には真っ当に人一倍懸命に取り組んでいるにもかかわらずです。また,その行為によって助けられた人も少なくないでしょう。

 

しかし,元はといえば,自分を一番におかず,外にある役割と同一化し,それに没頭してしまうことから,その状況が生じています。ただ,そうした方は,ずっとこれまで,懸命に社会的役割をこなすことで自我を作り上げてこられたため,忘れられている自分がいることなんて思いもされていません。そのことが,何か違う感覚,虚無感などとして表出してきます。

 

ただ,役割に同一化しているからといって,役割を投げ出せばよいということではありません。まずは,懸命に取り組んでいるあなた自身を,ただただ労ってあげてほしいと思います。例え否定的な思いや感情があったとしても,本来的には,それも含めてそのままのあなたでよいのです。そして,できるようでしたら,時には私のように役割から解き放たれてゆっくり過ごしてみませんか。一途に取り組んできたあなたが少し手を緩めたくらいで,そのプロジェクトや事業は止まったりはしませんよ。

 

もし,ゆっくり過ごそうにも,沢山やらなきゃいけないことが気になって気持ちが落ち着かない,そして,やらなきゃいけないことをしても気持ちが充たされない,何か違う気がするなどと感じてしまっている。もしそうであれば,本来のあなた自身がおざなりになっていて,そこには,これまでに解消されてこなかった悲しみなども隠れているかもしれません。

 

最後までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。

 

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