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つながらない権利

 

みなさん,こんにちは。

 

コロナ禍となってから,私たちの行動には制限がかかったり,人との直接的な関わりが減ったりもしました。また,逆に,移動することなく,リモートで人と交流する機会が増えて,便利になった一面もあるように思います。

 

そんな中で,先日,題名にしている「つながらない権利」という記事を目にしました。今回は,そのことについて書いてみようと思います。

 

どんな権利なのか,ピンと来られる方もいらっしゃるかもしれませんね。簡単に言うと,「プライベートな時間に仕事の連絡を拒否する権利」ということです。フランスでは,既に法整備が行われているとか。

 

リモートワークが普及して,電話やメールで連絡する機会が増えました。以前は,出勤し会社内で行っていたものが,会社以外でも連絡が取れるようになり,プライベートな時間にも仕事の連絡が来るようになってしまった。

 

仕事とプライベートの境界が曖昧になったことで,生じてきた問題とも言えるかもしれませんね。

 

ちなみに,私は自身で事業をしている立場のため,仕事とプライベートの境目は,基本的にあるようでありません。夜中に連絡が来ることも珍しいことではありませんが,いわゆる死に関わる仕事もしてますので,それはそれで納得はしています。

 

ただ,緊急性の低い内容の連絡が,夜間や早朝に来ることがあれば,相手の方に時間を伝えて,今後は遠慮していただくようにお願いはしています。

 

また,従業員もいますが,リモートワークではありませんし,勤務時間外に私から連絡をすることはありません。小さな会社で,勤務時間中にこまめに連絡を取り合ってますし,いつもしっかり事務処理してくれています。ありがたいことです。

 

プライベートな時間に仕事をしたり,それについて連絡をしてしまう。そして,本来ならスルーしても構わない仕事の連絡に対応してしまうことには,どのような背景があるのでしょうか。

 

そもそも,コロナ禍以前にも,こうした問題はあったにせよ表には出ていなかった。勤務時間外に対応しなくとも,仕事の多くは支障なく回っていたはずです。

 

ただ,会社以外でも仕事ができるようになったことで,仕事のリズムやプロセスが早まったということもあるかもしれません。

 

本来的には緊急性がないにも関わらず,勤務時間外に仕事を一次保留にしておけない人や,その処理を他者へも求めてしまう人が増えてきたということでしょうか。そして,それに違和感を感じながらも応じざるをえない人もいる。

 

会社という物理的な枠組みがとっぱわれたことで,仕事とプライベートの間の壁が低くなったとも言えるでしょう。以前は,会社を離れれば,仕事のことは考えずにすんでいましたが,壁が低くなったことで,プライベートな時間に仕事のことが思考に上りやすくもなった側面はないでしょうか。

 

また,伸ばせば仕事に手が届くようにもなったことが,それを手助けしていることも考えられます。単純にブラックな会社では,受け持つ仕事量が多いという問題もあるでしょう。

 

そうした場合の,個人の心理面を読み取る一つの理論として,アメリカの精神科医エリック・バーンの「交流分析」があります。「交流分析」では,自分と他人が〈OK〉なのか〈NG〉なのかで構成される4つのパターンを,人生に対する『構え』としています。

 

それは,『自分も他人もOK』『自分はOK,他人はNG』『自分はNG,他人はOK』『自分も他人もNG』の4パターンです。

 

プライベートの時間にも,ついつい仕事に手を伸ばしてしまう人は,もしかすると,『自分はNG』としている人なのかもしれません。その深層には,「自分はダメだ」「自分には価値がない」といった否定的な思いが隠れています。

 

自身では認識していないかもしれませんが,湧いてきた「人よりもやっておかないと」であったり,「失敗してはいけないから早めにしておこう」という気持ちに支配されて,つい仕事に手を付けてしまうのかもしれません。

 

そして,それを他者へ要求せずに一人で抱え込んでしまったり,自己犠牲的になってしまうようであれば,『自分はNG,他人はOK』ということ。「みんなには価値がある」「私は頑張って受け入れられなければいけない」といった思いがその奥にはあります。

 

自分はやらないけども,部下や同僚へは仕事を押しつけてしまうのであれば,『自分はOK,他人はNG』ということです。自尊心はあるが,他者には価値を感じておらず,自己中心的でついつい支配的になってしまう。

 

『自分も他人もNG』であると,すべてを否定してしまうことになるため,不安が先立って,それを払拭するために,他者も巻き込んだりして,脅迫的に仕事に取り組んでしまうことにもなるかもしれません。

 

そして,「なんだか生きててもむなしいな」なんて,人生に対して悲観的にもなってしまう。

 

ただ,4つのパターンの内の一つに,きれいに当てはまるということはありませんし,多くの人は,そのバランスを保ちつつ,日々を過ごしておられることかと思います。

 

そして,「交流分析」はその哲学的な前提を,『人は誰でもOKである』『人は誰でも考える能力を持つ』『人は自分の運命を決め,そして,その決定は変えることができる』としていて,私もそれには強く共感するところです。

 

自分も他人も,本来的に人間として価値があり,自分で考えて,自身の運命を選択していけるということ。

 

それは,自分の人生をコントロールするということではなく,私たちは,『自分もOK,他人もOK』という選択をできるということです。

 

プライベートの時間で言えば,「今は自分の時間を大切に,何もないゆったりとした時を味わっていていい,そして,あなたも,あなたのくつろげる時を過ごしましょう」といったところでしょうか。

 

そのような気持ちは,仕事でのつながりとは別として,私たちが本来的にはつながっていて,つながらないなんてできないことを,腑に落ちて認識したところから湧いてくると思うのです。そして,そのカギは私たちの外側ではなく,内側に目を向けていったところにきっとあります。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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