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ありのままを観る

 

みなさん,こんにちは。

 

「ありのまま」という言葉には「自然に」であったり「何も加えず」などの意味合いが含まれていて,肯定的なイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか。「ありのままを生きる」といったかたちで使われることが多いように思います。今回は,私たちが目の前の出来事をありのままに観ているだろうかという内容で書いてみます。

 

私たちは目や耳,皮膚といった感覚器官で周りの出来事を感じ取ります。そして,その入力された感覚から,何がどうなっているのかということを認識します。それから,その認識に対して「ステキなことだ,いけないことだ,こうしたい」などの出来事に対する解釈が生まれてきます。これらは通常,一瞬にして自動的に行われます。

 

私たちの解釈は自我が行っています。前の自我ってなにというブログで自我は立場や役割であると書きました。立場や役割は人それぞれですから,目の前の出来事に対する解釈も各々で異なります。そうした意味で,出来事に対する真実は人の数だけあります。また,その時の心のあり方や体調などによっても解釈は変わってくるように思います。

 

みなさんも夜道をあるいていて,なんでもない標識などが人のように見えた経験はないでしょうか。あと,空腹時に他者より言われたことに対して否定的に受け取ってしまうようなことなんかも。視覚は単純に錯覚を起こすこともありますし,聴覚は騒音の中でも,必要としている音を聴き取ります(カクテルパーティー効果)。

 

そう考えてみると,私たちは,どこまで起きていることのありのままを認識しているのか,自信がなくなってきますね。

 

例えば,職場かなんかで,朝,同僚と顔を合わせた時にあなたが「おはよう」と挨拶をして,それに対して相手は何も返事をせずに素通りして行ったとします。挨拶をした方は,「気分わるいのかな?」「なんで無視するの?」「私何かした?」「何かあったのかな?」などと考えることになりますよね。

 

でも,同僚は,その日に大切な仕事が控えていて,それが気になり前日も眠れず,朝になっても大切な仕事で頭がいっぱいで,あなたの存在自体に気づけなかったということもあり得ます。私たちに「大丈夫かな?」と相手のことを心配する余裕があって,次に会った時に「大丈夫?」と声を掛けられれば問題ありません。

 

しかし,無視をされたと解釈してしまい,その理由を悶々と頭の中で探してしまったり,そのことだけで相手に敵意を抱いてしまったり,自分を責めたり不安に陥ったりしてしまうようだとよくはありませんよね。ただ,先ほども書いたように,その解釈というのは自動的に一瞬で行われてしまうのです。

 

そして,その解釈には,私たちがこれまで生きてきた経験や記憶,そこから作り上げられた価値観などが影響しています。人によっては相手の性別や立場,地位などによって過剰に反応してしまったり,苦手に感じてしまうこともあるかもしれません。でも,辛い経験や記憶は意識の深層へ抑圧されてしまうため,自分自身では気づくことは難しかったりするのです。

 

私たちの出来事に対する解釈は自動的に行われますが,私たちはそれをも認識することができます。挨拶の返事が返ってこなかった事に対して,不安に思ったり,自分を責めてしまいそうになっていること自体を,冷静になれば私たちは認識できますよね。起きたことは,「あなたが挨拶をして,相手が返事を返さなかった」そこまでで,それがありのままです。

 

「無視をされた!」「私が何か悪いことをしたのか?」「もう相手にされないかも」といった思いは,あなたの中から自動的に出てきた解釈です。ですので,その思いと一緒になることを止めて,その思いが起こってきたこともそのまま認識してあげてはいかがでしょう。それをもありのままに見つめてみる立場になってみるというのでしょうか。

 

それだと,なんだかただ冷酷に物事を捉えているだけのようにも思えますが,例えば冠婚葬祭など感情を込めて問題ない時には,しっかりその感情に浸ることも大切です。ただ,自身の中で,同じような経験を繰り返していたり,そのような傾向を感じているようでしたら,出来事に対する自身の解釈を含めて,ありのままを見つめてみることをしてみてもよいかもしれません。

 

そう過ごしているうちに,距離ができたと感じていた相手から,何事もなかったように,突然連絡が来ることがあるかもしれませんし,自分からも連絡してみようという気持ちになるかもしれませんよ。

 

最期までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。

 

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