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本当の自分

 

みなさん,こんにには。

 

先日,自宅に古い菓子箱が置いてあるのに気付き,妻に何か尋ねました。すると,実家に置いてあった以前の写真で,私も沢山写っていたので見るかなと思って持って帰ってみたとのこと。

 

箱を開けて中を見てみると,私たちの結婚式の時の写真が沢山入っていました。当時,百人単位の人が集まり,3時間以上に渡って会食をしながら披露宴が行われました。

 

会場となったホテルも今はなく,そこには星野リゾートが建っています。コロナ禍もあって,「こんな催し今は考えられんね」なんていいながら,一枚ずつ手に取って見ていきました。

 

当たり前ですが写真のみんなは若くてシュッとしています。そして,見た目で一番今と違うのは私の髪の毛 笑 耳まである髪の毛がフサフサです。

 

写真を見ると長い月日を感じるのですが,私が「でも,ついこの間のようなんやけどね」と言うと,妻も「そうなんよね」と同じ感覚のようでした。

 

年をとると月日の経過が早く感じると言いますが,私の「ついこの間のよう」という表現には,月日の経過で変化した実感もあるけど,「それでも変わっていない自分が在る」という感覚も含まれていました。

 

この感覚,分かっていただけるでしょうか。

 

若い方は,そもそも月日が多くは経過してないですから,私の感覚とは違うかもしれませんが,「何があっても変わらない自分」といったような感覚です。

 

みなさん,これまでいろんなことを経験してこられたかと思います。運動会で一番だった,いや,こけてしまって最下位だった。希望通りの学校に入学できた,大好きだった彼女(彼氏)と別れて相当落ち込んだ,などなど。

 

そして,その時には,喜びや悲しみ,優越感や憎しみなど,いろんな感情や思いを抱いてきた。でも,それらは,いずれもすべてが過ぎ去っていったかと思います。いわば相対的なものです。

 

そんなことを経験してきながらも,絶対的に「私が在る」という感覚がありませんか。今もいろんな思いが頭の中を渦巻いていて,だけども,それをも認識している自分

 

これまでのブログにも,私たちだと思っている身体は,常にその他にものと循環して入れ替わっていることや,感情や思考というものも,自然に湧いてきては,いずれ過ぎ去っていくことを書いてきました。

 

それでも絶対になくならないその私が,もしかすると「本来の自分」ということではないでしょうか。

 

だとすると,絶対になくならないその立場から,日々の出来事や感情を眺めて,少しは楽しんでもよいのかもしれません。別の言い方をすると,それは感情に気づいてやるということでもあります。

 

気づいた時には,本来の自分からその感情を認識しています。そして,本来の自分は何があっても大丈夫。

 

私たちは,いつでもその静寂に立ち戻ることができます。

 

強い感情が湧いてきたり,思いが頭を巡っている時には,深呼吸して空を見上げ,その感情や思いに気づくようにしてみましょう。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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