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問題はどこにある

 

みなさん,こんにちは。

 

先日,無言の119番通報を受けた消防隊の方が,無言の後ろでかすかに聞こえる水の音をたよりに,川の中で横たわっていた男性を発見し救助したというネットニュースが目にとまりました。

 

いたずら電話だと認識しても不思議ではない状況で,そこに危機的な何かを感じ取り,捜索を開始されるとはさすがプロですね。

 

ニュースを読み終わりコメント欄に移ると,やはり,隊員さんや消防隊の連携について賞賛と労いの言葉が多く投稿されています。そして,そのコメントに対しても多くの「いいね(good)」評価がされていました。

 

そして,どのコメントにも少なからず,必ず「そう思わない(bad)」評価もされているんですね。

 

みなさんも,何か意見や意思表示をした時に,それについて否定をされたり,その後,避けられるように感じた,といった経験はありませんか。

 

そんな時には誰しも,「自分は間違った意見や選択をしてしまったんだろうか」と疑ったり,自信をなくしてしまうことが,少なからずあるかと思います。

 

意見や意思と自分というものを同一化してしまうと,得てして「どちらが正しいのか」や「どちらが問題なのか」と対立の構図が出来上がってしまいがちです。

 

しかし,この世に絶対的に正しいことや問題であることなんてありません。それについては 良いのか悪いのか という以前のブログにも書きました。

 

私たちは,それぞれの立場や価値観から作られたフィルターのようなものを通して,目の前の出来事やひとの意見,考え方などを解釈してるんですね。

 

各々のフィルターは異なりますから,すべての意見が一致することなんて到底あり得ません。

 

一方の方向性の意見に対しては,必ず反対方向の意見がセットでついてきます。青色の反対色として赤色があるように。

 

ある方向性(青色)について意見すれば,反対の意見(赤色)を必然的に浮き立たせてしまうのですね。

 

その反対の意見が,どのように浮き立ってきたのかに目を向け,その逆の方向についても理解しようとしていくことで,私たちは高い認識に至ることができるとも言えます。

 

もちろん,「私はその反対の意見とは異なる価値観で生きたいから,その意見は取り入れないけど,そういう考えもあることは分かりました」と区別するというのもありだと思います。

 

そのように,あなたの意見や意思を否定されたとしても,少なくとも,あなたの中に問題があるわけではないのです。

 

そして,あなたの外にもどこにも問題はありません

 

正解や問題というものはどこにもなく,どんな意見もその意見としてあっていい

 

さらに言えば,あなたの価値観から出てきた意見と,本来のあなたは,完全に同一ではありません。

 

ただ,どんな意見を持ったとしても,社会にはルールがありますので,それを破ることや,公的な立場を個人的に利用するようなことがあってはいけません。

 

それでも,どうしても自分を責めてしまったり,他者からの意見に振り回されてしまうという方は,個人セッションを検討してみてください。

 

その湧いてくる否定的な思考のもとをたどり,それを手放していくお手伝いをします。

 

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