みなさん,こんにちは。
前回のブログで,古い私の結婚式の時の写真を見たことを書きました。写真を見て年月の移り変わりを感じながらも,それでも,変わらない自分が在る感覚を覚えたのでした。
それと,もう一つ思ったことがありまして,それは,「ひどかったな」ということ。
何がひどいのか。それは,私の理解というか認識です。
山口県の中でも田舎の方で,当時,結婚するとなると,親戚や身内の方々が盛大に祝ってやろうとしてくれるわけです。だけども,私の認識は正直なところ「仕方ない,(結婚式を)やるしかないか」ぐらいのものでした。
それで,行ってみて,列席くださった方々の心からの祝福を感じ,心底感動して号泣するという…。
なんともお恥ずかしい 笑 そして,何でも合理的に考えてしまいがちなのは,今も変わっていないのかもしれません。
前置きが長くなりましたが,誰しも後悔することってありますよね。そこから学びを得て,その後の人生に活かしていくということでは,後悔も必要なことだと言えます。
しかし,「あのときこうしていたら…」という思いが繰り返し頭の中を巡っていたり,その出来事を思い出すだけで,感情が揺すぶられるようでしたら,気持ちよく過ごすことはできません。
また話が変わりますが,先日,中日ドラゴンズの二軍監督をされる,片岡篤史さんのYouTubeチャンネルがとても面白く,立て続けに視聴しました。
片岡さんが,母校であるPL学園の先輩方とお酒を飲みながら話をされるのですが,そのやり取りが面白くもあり,思いやりにあふれていて,そこに強い絆を感じます。
当時のPL学園野球部では,先輩は絶対的存在であり,黒いものでも先輩が白と言えば白,先輩の食事の際には後輩が後ろで立って待機し,先輩が空の茶碗でテーブルをコンコンと叩くと,大きく返事をしサッと両手で受取って,その茶碗にご飯のおかわりをよそう。
ご飯はお米を切るようにしてすくいフワッとよそわないといけない,先輩の汚れた練習着を各受持の後輩が,台数の限られた洗濯機を争奪して,毎日夜遅くにかけて洗濯をする,などなど,今では受け入れられないかもしれない,理不尽な決まりごとが満載です。
それが,16歳,17歳の高校生の時の話ですから,やわな私だったら到底堪えられずに逃げ出しています。でも,片岡さんや先輩方は,それをとても楽しくいい思い出として話されるのですね。
どうしてそんな過酷で辛い経験を肯定的に話されるのかを考えてみると,一つには,その学生時代に甲子園での優勝など,確固たる結果を残されていることがあるように思います。それもあって結果を残せたということです。
それと,もう一つが,話されているみなさんが,現在もいい状態を過ごされているのではないかと思うのです。
なぜなら,過去の記憶の解釈は今の状態で変わってしまうからです。今がよければ過去も肯定されます。みなさんも,過去に苦い経験があったとしても,その後にいい状態となった時に「あれがあったから今がある」と考えますよね。
逆に,今がつまらない状態であれば,以前のよかったはずの思い出も,その否定的な部分を焦点化して想起したりして,その思い出までもが否定されてきてしまいます。
ですので,嫌な記憶が頭を巡っていたり,感情が揺れていたとしても,今のいい状態によってその状況は軽くなるのです。
では,今のいい状態とはどういうことか。
いつか,あれが手に入ったらとか,こういう状況になったらという条件付きのいい状態は,その後もきっとやってくることはありません。なぜなら,「いつか」が「今」になることは永遠にないからです。
本質的に私たちには「今」しかないんですね。そして,「今」ここにないものは変えられます。これについては,またいつかブログに書いてみます。
ですから,私たちは「今」無条件のいい状態であったほうが有意義なのです。それは,いい状態を選択するということでもあります。
これまでの 幸せってなあに や 感情の伝染 というブログでも,幸福を選択することや今こうして在る有り難さを再認識すること,上機嫌を選択してみることについて書いてきました。
本来,私たちに理由や条件は必要なく,現に今こうして在ってその他と繋がって関係しているだけで十分なんです。
しかし,そう言われても,嫌な記憶は自分では変えられないし,いい状態ではないのに幸せなんて到底思えないという方もいらっしゃるかと思います。
そうした方のための気づきの相談室です。一生懸命に真っ正面からセッションをしています。
最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。
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