みなさん,こんにちは。
今回のブログのタイトルを読まれて「どういうこと?」と思われたかもしれませんね。これは,私がよくお世話になる禅寺のご住職が言われた言葉です。バケツは最近ではプラスチックのものが多く,ブリキのバケツをあまり見なくなりましたね。このタイトルの言葉を思い出す時,私の頭には小学校の時に学校にあったようなブリキのバケツが浮かんでいます。
そんなことはどうでもよいのですが,私はトラブルや問題を抱えた方を支援するにあたり,この言葉の意味することをひとつの方針としています。というのも,私たちは問題を抱えると,まず,その問題を取り巻く人や環境を動かすことで,状況をよくしようと考えます。
問題は大きく環境を変化させることで急激に改善することがあります。生命に関わることなど緊急性を要する時なんかがそうです。逆に取り巻く環境に変化が与えづらく,その状況が長期間におよぶものもあります。身近な人との関係性から生じている問題などがそうでしょうか。
問題が長期間におよぶ場合,私たち支援者はその存在価値を示しづらくなります。そうすると,変化を与えづらい状況を少しでも崩せないかと,環境などの目に見える部分に対して,こうしたらどうか,ああしたらどうかとアプローチしてしまいがちです。以前の私を振り返っても,そうすることが多々あったように思います。
しかし,問題の本質がその方自身の内面にある場合,表面上の状況を変えて一見問題が改善したかのように見えたとしても,時間が経過すると同様の問題がまた生じることになったりします。私たちが自身のうまくいかない原因を他の人や環境に求め,自分以外のものを変化させたとしても,その後,また同じような問題が起こってくることも同じ仕組みかもしれません。
バケツの中の泥水をかき混ぜずにただ観ていると,泥は沈殿していって水は澄んでいきますよね。私が支援にあたり心掛けているのは,バケツの中をかき混ぜるかのように,むやみにその状況を取り巻く環境へアプローチしないということです。もちろん,その方や周りに負担なく行える環境への働きかけは行っていきます。
そして,その方やご家族の人生を信頼し対話を重ねる中で,その方自身に気づきが生じることがあります。対話の中で,その方はまとまらずモヤモヤした思考を整理し,それを言葉にしていきます。そして,その言葉を自身で聞いたり,私が再度整理してお伝えしたりします。それが自身の内面を見つめてて認識する機会となるのです。
その方自身に気づきが生じてくると,あるべく方向へ状況も変化していきます。気づくことでその方の中に生じたエネルギーは,たとえ強くなくともとても柔軟で持続性があり,止まることなくあふれてきます。水は決まった形を主張せず,どのような容器にも合わせて収まりますが,いったん容器からあふれて流れ出すと,どんな隙間にも流れて浸透していきます。そんなイメージです。
そのエネルギーは見えはしませんが,だれにでも同じように湧いてくるものだと私は思っています。そして,そのエネルギーを生じさせる気づきは,バケツの中の泥水を静かに見つめるように,自身の外側を変化させようとするのではなく,心を静めてその底にあるものを見つめることで起きてきます。
気づきの相談室では,そのような機会をご提供できればと考えています。
最後までブログを読んでいただき,どうもありがとうございます。