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どこまでが自分なの?

 

みなさん,こんにちは。

 

前回のすべては自分の中にというブログに,私たちの存在の本質は「区切られた小さな存在ではない」と書きました。
通常,私たちは「個」の存在で,自分がそれ以外のものと関係しながら過ごしていると考えています。それは現実にある私たちの認識です。そして,その私という個を認識しているものの一つとして身体があげられます。みなさんが視線を下に落として見えるお腹や腕,脚などを「これは私の身体だ」って思いますよね。

 

では,私たちは自分のものだとする身体を,どれだけ自分自身で把握し管理しているでしょうか。ジムに通って体型維持に努めている方もおられるかと思います。私も顔にシミがたくさんでき出しましたので,時すでに遅しですが日焼け止めを塗るようになりました。
しかし,そのように自分でコントロールしていると思っている,身体の脂肪や皮膚は,私たちの意思とは異なり,新陳代謝によってその中身は自動的に入れ替わっています。

 

私たちの心臓の収縮もそうです。私たちの意思で収縮の早さや強さを加減しているわけではありませんよね。眠っている間もちゃんと自動的に収縮を繰り返しています。また,口から食べた食物も,自動的に消化器官で栄養が吸収され,血液によって全身へ送られます。そして,送られた先の組織の細胞との間で,必要な栄養と不要な老廃物が交換され,血液が受け取った老廃物は最終的に身体の外へ排出されます。

 

そのように,身体は私たちが管理せずとも,一時も休むことなく自動的に新陳代謝を繰り返しています。
私たちの身体の外に出た老廃物はというと,微生物によって分解され,土や水へと帰っていきます。そして,その土や水を栄養として食物が育ち,その食物を私たちはまた身体の栄養として体内に取り込んでいるのです。単純な流れで説明していますが,このようにすべてのものは繋がっていて,その循環は,私たちの身体もその一部として,一時も休むことなく行われています。

 

前回のすべては自分の中にというブログで,「外の世界は私たち自身の中にある」と書きましたが,身体についても同じことが言えますし,逆に「私たちの身体は外の世界にある」とも言えてきます。そして,そのように私たちの身体をその他のものも含めた循環の一部として捉えると,私たちが自分だと認識している身体とその他ものとの境界は不明瞭になり,明確には区切れなくなってきます。

 

そう考えると,私は一つの「個」ではなく,すべてのものと繋がっていることになりますし,私以外と考えていた家族や仕事の同僚,ペットやその他の自然なんかも,すべて私を含めた延長線上にあって,私同様に大切に思えてきませんか。また,敵対的な関係にあった人や否定的に捉えていた人とも自分との繋がりを感じ,そこにあったモヤッとした感情も少し軽くなってきたりします。それだけでなく,敵対関係にあった人が,あなたの能力を伸ばしてくれるよきライバルに思えてくることもあるかもしれません。

 

しかし,「あなたの嫌いなあの人はあなたと繋がってるのですよ」なんて言われても,「なるほど,そうなのか」と簡単には納得できません。でも,私たち人間は,思考の中で,本質的には繋がっているものを区切り,名前を付けるなどして分類することで,そのものの実際を観ずして決めつけてしまう傾向があります。ですので,心を落ち着かせて,実際にはどうなのかしっかり観ていくのです。

 

いかがでしょう,身体の中に本当にあなたがあるでしょうか?
ぜひ心を静めて見つめてみてくださいね。

 

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