みなさん,こんにちは。
以前の 後悔 というブログの中で,私たちには「今」しかないと書きました。今回は,そのことについて,もう少し詳しく書いてみます。
通常,私たちは,過去の出来事があって現在があり,現在の行いや行為によって未来が創られていくと考えますよね。そうした意味では,過去や未来というものも存在しているといえます。
誰でも幼少期の思い出があり,現在,思春期や学生時代を過ごしていたり,そうした経験を経て今は働いている方もおられます。そして,新たな家族ができたり,今後,恋人との結婚を思い描いている方もいらっしゃるでしょう。
では,その以前の思い出というものはどこにあるのでしょうか。思い出というのは記憶ですね。記憶は思考の中にあって,そこに思いや感情を伴っています。
しかし,その思考の中の思い出は,今ここに取り出すことはできませんよね。そして,その記憶の中の出来事の詳細は,人それぞれの記憶の中で詳細は異なっています。
記憶の中の出来事が人それぞれ異なるのは,記憶力に違いがあるからということではありません。起きた現象に対する当時の立場や解釈,今の立場や心理状態などによって異なるのです。
いずれにしても,過去は思考の中にはあったとしても今ここには存在しません。
では,未来についてはどうでしょうか。後のことなので,今にはありませんよね。そして,未来のことも過去と同じく思考の中にあって自我によって展開されています。
過去の出来事を〇年○月○日に起きた事実としたり,これから時間が経過していくので,その先の未来もいずれは必ずやってくる事実だと考えることもできます。
しかし,時間の経過というものも思考の中でしか存在することができません。
そう言うと,「ここに○時○分と時間を刻んでいるではないか」とも思ってしまいますが,それは,時計やスマホやパソコンにそのように表示されているだけのことです。
何かに楽しんだり集中して取り組んでいる時と,人を待っていたり興味のない講義を受けている時とでは,時の経過が異なることもみなさん経験されたことがあるでしょう。
そうした時間の経過も思考の中での出来事なのです。
ですので,前回のブログにも書いたように,究極的には,私たちが「今こうしてある」ということしかありません。
そして,その「今」には私たちの自我もありません。今あることが私たちのベース(本質)であって,その安心安全の上に私たち各々が自我というものを立てて,その存続やメンツをかけて右往左往しているのです。
でも,そんなこと言われても納得できないと思われる方が大多数になるかと思います。自我を通して考えれば,確かに過去の出来事も時間も未来も,思考の中には存在しますから。
ただ,思考の中の過去や未来,感情や思いは,あるようでなくて,ないようである相対的なものです。
そして,絶対的にある「今ここ」になはく,思考の中に存在する過去や未来は変えることができます。
その前提として,私たちがこうしてあること自体で大丈夫だと考えてみてはいかがでしょうか。その上で自我というキャラクターを設定してこの人生を楽しんでると。
そう考えると,自分の人生ということへの深刻さが軽くなってきませんか。自分へのこだわりが薄まり自分というキャラクターとの距離もとれてきます。
私たちが,自分で何か問題があると考えている時には,必ず設定した自分というキャラクターと一体化しています。そんな時にも「今ここにある」という究極的な安心であり平穏がその背後にはあるのです。
問題に行き詰まった時には,大きく息を吐いて,今あるということに意識を向けてみましょう。そして,そこから自分というキャラクターがどのような感情や思いを抱いているのか認識して,その存在を認めてやる。
すると,その感情は少しずつ軽くなり,今すべきことに自然と意識が向いていくことでしょう。
どうしても問題が自分の前からなくならないという方は,自分というキャラクターがどのように設定されているのかを観てみるとよいですよ。必要のない設定は変更することができますので。
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