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チャンピオン

 

みなさん,こんにちは。

 

先日,あるネット記事を読んでいて,ふと感じたことがありましたので,今回はそのことについて書いてみます。

 

そのネット記事は,辰吉丈一郎さんへのインタビュー。辰吉さんは私と同い年でアラフィフですが,まだ現役のボクサーを貫いておられる。私は以前より,辰吉さんの生きざまや本質をついた発言に惹かれ,記事や番組はついつい見てしまう。

 

インタビューの内容はというと,先日行われたノニト・ドネア戦に勝利した井上尚弥選手についてでした。辰吉さんは,井上選手の心情に配慮しながら質問に答えられています。

 

井上選手は表だっては見せないが,その立ち居振る舞いや動きを見て,相当の練習を積んできていることが見て取れるとのこと。そして,そうした努力をすることについて,ご自身の経験も踏まえてこのように話されています。

 

「すごい努力をしてる人間って、自分が努力してるって気づいとらんのよ。当たり前のことしてるだけって認識してる。彼は今スーパースターやん。でも、そんなにピンと来てないと思う。尚弥君は自分がチャンピオンになる、自分がこういう人間になると、はなから知っとった。知っとるから用意ができとった。みんなチャンピオンになりたいチャンピオンになりたいと言うけど“なりたい”じゃなられへん。自分も同じ経験をしとるけど、“なる”からやってるんよ」

 

この辰吉さんのお話を読んだ時に,私は共感を覚えたのです。ちなみに,私は格闘技を継続的にしたことなんてありませんし,何かで一番になったこともありません 笑

 

辰吉さんのお話は,一見すると,「なれるべき人にしかチャンピオンにはなれない」と読み取れるかもしれません。私が『なるほど,そうだな~』と思ったのは,「チャンピオンに“なりたい”じゃなくて“なる”だからなれた」ということと,「自分にとって当たり前のことは気づいていない」ということです。

 

“なりたい”という思いは,確かに『なれない』という現状から湧いてくるもの。なので,“なりたい”という思いのままでは,『なれない』という状況が続いていきます。何かになりたければ,「その自分になったかのように振る舞いなさい」という助言を目にするのはそのためかもしれません。

 

井上選手は,もともとチャンピオンに“なる”ことを信じて(知って)いて,以前から,チャンピオンとなった今と変わりのない立ち居振る舞いだったのでしょうね。

 

でも,現実場面で,理想の自分になったかのように振る舞うだけでは,場合によっては不自然さが生じそうです。例えば,長年の平社員の立場で,なりたいと思っている役職のような立ち居振る舞いだけをしていては,他の社員はそれを見て,不釣り合い感や違和感を感じることでしょう。

 

そのような場合は,理想の自分になったかのように立ち居振る舞うだけではなく,自分の中にあるフィルターに気づく必要があるのかもしれません。なぜなら,自分では認識できていない中で,きっと深いところでは「自分はできない」といったネガティブな思いがあるだろうからです。

 

その「自分にはできない」という思いを通して,それでも役職などの理想の自分に“なりたい”という思考が湧いてくる。自分の中の無意識下の思いやそのフィルターについては,いやな予感 や すべては自分の中に に具体的に書いていますので,よろしければそちらもご覧ください。

 

自身の中に「できる」という思いがあり,そのフィルターを通して事象を捉えていれば,表面的な言動だけでなく,平社員だったとしても,役職であったならば,どのように組織の中の物ごとを捉え,考えていけばよいかという思考に自然となっていく。おそらく,そこに他の社員は不釣り合い感や違和感は感じないでしょう。そして,そのような立ち居振る舞いから,ゆくゆくは役職に適しているからと採用されることにもなるのです。

 

辰吉さんのインタビュー記事の中でもう一つ共感した,「自分にとって当たり前のことは気づいていない」ということについても,その自身の中の思いとフィルターが関係していると考えます。

 

私たちは,常にそのフィルターを通して,自分の周りの事象を捉えている。そして,私たちが当然としていることはフィルターには引っかからないために見えないのです。井上尚弥チャンピオンは,過酷な練習を当たり前としているため,それが否定的なこととしては自身に映らずに認識できないというところでしょう。

 

逆の例にはなってしまいますが,支援者が,援助を必要としている人へアドバイスをしたとしても,その方が行動を改めないことがあるのも,それと同じ仕組みで,そもそも否定的に捉え改善するべきものが,その方には当たり前すぎて見えていないのです。見えていないものは,改善しようがありませんものね。

 

そのように,人が変わりたい思いや変わる必要がある時,そこに気づきがないと変われない。そして,気づく必要があるのは,自分の外のことではなく,自身の深いところにある思いにです。

 

ですので,♪ 気づきの相談 ♪ の対話やワークの中では,分析やアドバイスだけでなく,その方の中にある思いへの気づきを促していきます。

 

そして,「あっそうか!」や「だからか!」という気づきが生じ,それが癒されると,その方が変わりたいと思っていることについて,そう変化するように解釈や認識をするようになっていくのです。

 

さらに,人の中の思いは,自分という「個」があることを前提にしていますので,その思いに気づき癒されていくと,自分というものへのこだわりが薄くなっていきます。

 

自分へのこだわりが薄くなれば,他との繋がりを感じやすくなり,後悔や不安を感じることなく,事象のありのままを捉えるようになる。これは,事象を解釈するフィルター自体が外れていってしまうということです。

 

そうしている中で,こうして私たちが在るだけで救われていることへの気づきが起きてくることもあるでしょう。

 

本来,あるがままの私たちは,誰もがチャンピオンで,すでに勝利者なのですから。

 

それが最も当たり前すぎて,私たちに見えていないものなのかもしれません。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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