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つながっている

 

みなさん,こんにちは。

 

これまでのブログに,私たちがみな繋がっているということを何度か書いてきました。

 

しかし,わたしたちは,日常の中で人と人としての繋がりは理解していても,それ以上の繋がりを感じることは,あまりないのではないかと思います。

 

「私やあなた,そして,その他のものとが同じく繋がっている」と言われても,社会生活を送っている私たちは,「この人は何を言っているのだろう?」と思うでしょう。

 

今回は,その「繋がっている」ということについて,これまでとは少し違う角度より書いてみたいと思います。

 

もしかすると,もっと「何言ってるの?」と思われるかもしれません 笑

 

でも,せっかく訪問くださったので,よろしければお読みください。

 

繋がっているということは,私が他の方やものを見た時に,その境界がぼやけていてグラデーションのように繋がって見えているということではありません。

 

そもそも,「私」と言った時点で,「私」以外の人やものが存在していることになってしまいます。既に「私」とそれ以外が別れていますもんね。

 

ただ,私たちは,言葉を使ってコミュニケーションを図っています。

 

その言葉の本質とはどういうものか。

 

それば,物ごとを分けて概念化することです。

 

例えば,私たちは「宇宙」のなかから「銀河」を分けます。そして,その「銀河」から「太陽系」を分ける。「太陽系」から「地球」,「地球」から「海」や「陸」を。「陸」から,「森林」,「木」,「枝」,「葉」といったように,言葉にすることで,そのようなものがあることとしています。

 

「宇宙」には,その他の言葉が含まれていますし,「宇宙」自体も私たちと別としてあるわけではなく,私たち人間をも含んでいます。

 

ですので,そこにあるものを分けてしまう言葉を使って,私たちが繋がっていると伝えることには,根本的に矛盾が生じることになるんですね。

 

では逆に,言葉を使わなかったらどうでしょう。物ごとを分けることができるでしょうか。

 

部屋の中を見渡すと,多くの物が存在しているように見えるでしょう。それらを言葉で表現しないようにしてみてください。

 

非日常的なことで難しいかもしれませんけども。心を落ち着けて。

 

すると,それらはビデオカメラで撮影した画面を眺めるように,ただそのようにあるだけです。

 

しかし,言葉を使わずとも,「思考の中でそれぞれの物ごとを認識しているよ」と思う方もおられるかもしれません。

 

人間は,感覚器官で捉えたものを瞬時に知覚します。知覚するということは,その時点でそのものをその他のものから分けて思考しているんですね。

 

例えば,夜の星空を見上げて,黄色く大きな丸い星を見つけた時に「満月」だと認識するように。

 

その「満月」は既に思考の中にあります。

 

本来的には「黄色く」「大きな」「丸い」「星」もなく,視覚がその時点でそのようなものをただ捉えているだけです。

 

そして,知覚した「満月」から,「いつぞやの飲み会で2軒目に歩いてた時の夜空にもキレイな満月が輝いてたな」とか「早くあの頃のように気兼ねなく飲みに行きたいな」なんて記憶や思いが自動的に湧いてきます。

 

これらば瞬時に私たちがコントロールすることなしに起こっていることです。そして,私たちは,それを個として存在する自分の思い出や気持ちとして認識してしまう。

 

しかし,その「自分」というのも,言葉やイメージとして思考の中にあり,そうした意味では,その他のものと同じなのです。

 

「自分」を名前や職業,その他の役割などの言葉をなくして表現することができるでしょうか。氏名や職業などの言葉も,自動的に知覚として思考に上ってきたものです。

 

そのように,私たちすべてのものは,自動的に知覚され言葉として表現されない限り,分かれることなく繋がっています。そして,その知覚から生じてくる記憶や思いへも実は気づいています。

 

悔しかった記憶や楽しかった思い出,そこに伴っている感情にも,それがあるということに私たちは気づいていますよね。

 

そして,その湧いてきた思考と私たちの気づきとの間にも距離はなく繋がっているのです。

 

そうして,すべてが繋がっている中で,ただ起きていることに気づき,「自分」というものを立てずに眺めていると,どんなことも生じては移り変わって消えていきます

 

それが,あるがままということです。

 

どんなに良いとしていることも,逆に悪いと思っていることも,そのまま永続的に続くことはないですし,そう判断していると思っている自分も思考の中にあって,私たちはそれらすべてに気づいている,すでに受け入れられた存在なのです。

 

私たちにそのことが浸透してくると,社会生活の中で問題としていたことにも,落ち着いた心持ちで応じるようになりますし,問題とすること自体が生じなくなってきます。

 

日常の中で,自分をしっかり生きながら,その背後で私たちはみな繋がっていて,その自分も「あってないようなもの」だということを頭の片隅にでも置いておくのもいいかもしれませんよ。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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