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孤独

 

みなさん,こんにちは。

 

今回は,「孤独」をテーマに思いつくまま書いてみます。

 

以前は,孤独と聞くと,否定的なイメージを抱くことが多かったような気がします。しかし,最近では,孤独を肯定的に捉えた情報も,目にすることが増えてきました。独り専用の焼き肉店なんかも繁盛しているみたいですね。

 

コロナ禍となり,人が集うということにも制限が生じました。リモートワークが普及して,独りで作業することに寂しさを感じる人もおられるでしょうし,逆に,集う機会が減って,精神的負担が軽くなったという方もおられるでしょう。

 

私は,どちらかと言えば後者でしょうか。もともと独りで過ごすことが多いですが,集わずとも研修にも参加して,貴重なお話を聴けることはありがたく思います。

 

ただ,ひとつ言えることは,「孤独」ということは,良くも悪くもないということ。

 

本質的に,この世の現象に良いも悪いもありません。そのことについては, 良いのか悪いのか というブログに書いていますので,よろしければ読んでみられてください。

 

「孤独」といえば,孤独死の問題について取り上げた記事を目にすることもあります。亡くなられた方に,ご家族やご友人がいらっしゃれば,「どうして早く気付いてやれなかったのか」と,きっと悔やまれることでしょうし,その後の対応にたずさわる方々は,大変な労力を払われえることかと思います。

 

私は,孤独死の問題についての情報に触れた時に,ふと「ご本人はどうだったんだろう?」と思うことがあります。

 

残された者は否定的な思いに包まれるわけですが,当のご本人はどういう気持ちだったのだろうと。

 

「独りで寂しかったろうに」と残された人は思います。確かにそういうこともあるでしょう。でも,孤独死とは言いますが,いわゆる死を迎える時は,そばに人がいるいないに関わらず,必ずみんな独りで孤独なはずです。

 

そして,亡くなった後に,ご本人の気持ちを確認する術はありませんので,はたしてどうだったのかは誰にもわかりません。

 

ただ,亡くなったとされる身体の中には,今こうして在ることに気付いている私たちはなく,いずれこの世の他のものに置き換わって循環していきます。

 

亡くなった方とコミュニケーションすることはできませんが,もしかすると「なんだ,こういうことだったのか,まったく大丈夫じゃないか」という可能性も無きにしもあらずです。

 

だいぶ話が逸れていってしまいましたが,独りでいるとしても,その時の自身の気持ちがどういう状態であるのか。それが穏やかであればそれでいいのではないでしょうか。

 

広く私たちに共通してある「孤独」に対する否定的なイメージを,私たちは,自身を否定してまで取り入れなくてもよいと思うのです。必要な時には集まって,協力し合い,集団や組織の中での役割を果たしていれば問題ないはず。

 

なんだか,私自身を必死に肯定しようとしているようでお恥ずかしい 笑

 

そして,たとえ,必要な時に人と関われなかったとしても,そんな自分を必要以上に責める必要はありません。悔いているということは,役割を果たそうという気持ちがあるということです。ですので,否定的な思いがそこにあることを認め,今こうして在ることに気付いて,少しずつでも進んでいけばきっと大丈夫です。必ずどうにかなります。

 

人は,集って力を合わせたり,各々の交流による相互作用によって,より大きな力を発揮します。今の私たちの恵まれた暮らしは,そうした人と人とが関係し合うことで創られてきたのでしょう。

 

そして,その相互作用による効果は,私たち各々が,穏やかでよりよい状態であることで発揮されるはずです。

 

「個」とした私たちは孤独。孤独でいいのです。そして,その「個」は背後でつながっています

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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