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自分自身から離れてみる

みなさん,こんにちは。

当ホームページのトップに自分自身から離れてみるという見出しの文章を書いています。
しかし,ただそのように聞くと「どういうこと?」と思ってしまうかもしれません。
「自分自身からどうやって離れるの?」と。

今回,私が関わることとなった20代男性(以下,彼)の例をご紹介します。
彼の経過を通して,「自分自身から離れる」ということを少しは感じ取っていただけるかもしれません。
よろしければ読んでみてください。

私が彼と関わるきっかけとなったのは,弁護士さんからの依頼でした。
ご両親よりこれまでの経緯をお聞きしたところ,彼は思春期の頃より級友やご両親とのコミュニケーションがうまくいかなかったようです。彼は徐々に孤立してしまい,最終的にアパートで独り暮らしを始めましたが,職場の同僚との関係が悪くなり,トラブルとなってしまったのです。
その時も彼とご両親との関係はよくないままでした。

彼に面談を申し入れたところ,拒むことなく応じてくれました。
これまでの経過を聴いていく中で,彼自身の思いや気持ちが,他者へなかなか伝わらず,孤立してしまい,それでも社会の中で自立しようと,独りでもがいてきたことが伝わってきました。
彼が,相当なストレスや孤独感を感じて過ごしてきたことが想像されました。

そして,今後について話をしていく中で,彼はご両親からの支援を受け入れ,これまで通りアパートでひとり暮らしをしながら,滞っていた精神科での治療を継続していくことを了承してくれました。
それに対して,主治医の先生も柔軟に対応してくださったのでした。

その後,当面は何事もなく,彼はお母さんの送迎で通院していましたが,徐々に通院を拒むようになりました。
受診を拒む原因として,後になって彼が話してくれ分かったのですが,彼には,トラブルになった職場の元同僚とその仲間より,付け狙われている感覚が,その後も継続してあったのでした。

そのため,彼は極力外出しない生活を送っていました。
そして,その付け狙われている感覚は弱まることはなく,むしろ強くなり,話し合いの末,アパートより実家へ帰って過ごすことを選択したのでした。

実家へ帰ってからも,彼の付け狙われている感覚は変わらず,ご両親は彼への対応に困り,私へ連絡が来るようになりました。そして,最終的に彼より,初めて「疲れた」というメールが私へ届いたのでした。
私は彼を訪問し面談することにしました。

彼は自身の感じている,付け狙われている感覚をありのまま私へ話してくれました。
私は彼の話してくれた感覚をそのまま聴き受け入れました。ただ,その感覚は彼にしかなく,ご両親をはじめ他の人へは感じられないこと,同様に私たち一人ひとりが,生きる中で独自の解釈による感覚を抱き,各々がその世界を生きていることを彼に話しました。

そして,その付け狙われている感覚を「認識している自分」があるということは,その認識が本来の私たちであるかもしれないこと,そのため,「付け狙われている感覚を持つ自分」になりきらず,本来的な私たちかもしれない立場からそれを眺めてみるように話しました。

それを聞いて彼は,落ち着きを取り戻し何かを感じ取ってくれたようでした。
これも後に判明するのですが,彼はそれまでに処方された薬をまったく服用していなかったのです。
しかし,その日を境として,彼は服薬をし始め,主治医の先生からの治療の提案にも応じるようになりました。

その後,彼の付け狙われている感覚は軽減し,ご両親とも以前ほどのわだかまりはなく,一緒に過ごせるようになりました。そして現在,彼は通信制の大学へ入学して頑張っています。
彼に服薬し始めた経緯を確認すると,「本来的な私たち」の話を私より聞いてからだと話してくれました。

付け狙われている感覚がなくなったわけではありませんが,彼は「それに対する捉え方が変わった」と話してくれます。
主治医の先生の関わりや薬の効果,担当看護師さんの支援はもちろんですが,彼が「本質的な気づき」に触れたことで,彼自身になりきることを止めたこと,そして,本来的な立場より,付け狙われている感覚から距離を取って眺め,認めてやれるようになったことが影響しているのではと私は解釈しています。

なお,彼はこのように私が事例としてご紹介することを了承してくれていて,経過は簡潔に書いていますが,数年の歳月の中で紆余曲折ありながら進んでいったことを申し添えておきます。

彼は極端な例かもしれませんが,誰しも否定的な思いや思考に振り回されることってありますよね。
職場の同僚や友人から不意に言われたことが妙に引っかかり,それからしばらく,そのことが頭の中を占領したかのようにグルグル回ってみたり。
そして,それは自分ではどうにもコントロールできません。

でも,自分でどうにもできないことも含めて,そのことを私たちは認識しています。
彼の場合は,私から改めてそのことを確認されて,ふと本来的な我に返ったのかもしれません。そこで,どうにもできない思いや感覚の間にスペースが生まれ,本来的な彼からそれを眺めてみたのでしょう。

そうして,眺めて認めてもらった思いや感情は徐々に落ち着いていきます。
私たちでも,何かのグループに参加して,最初からずっとここにいるのに,あたかもいないかのように他のメンバーで盛り上がっていると,寂しいですし気持ちが落ち着きませんよね。そんな時に,「〇〇さんはどう?」って声を掛けてもらえると,存在を認められたようでほっとして嬉しくもあります。

あなた自身に,もしも否定的な思いや感情が浮かぶことがあれば,その思いや感情をしっかり感じながらも,「ああ,こんな感情が浮かんできているんだね」って眺めてみてやってください。すーっとその思いや感情が落ち着いてくるかもしませんよ。

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