みなさん,こんにちは。
「依存」と聞いて何を連想したり思い浮かべられるでしょうか。
病気とされる依存症を連想する方もおられるかもしませんね。
依存症とまではいかなくても,人は何かに依存して生きていると言われます。
私が自身の身の回りで考えてみても,なくては困ると思う人やものは多く頭に浮かんでくる。
家族はもちろんですし,仕事でお世話になっている方々,パソコンやスマホ,自動車なんかもそうでしょう。
会社といった所属している組織や役職といった立場なんかを,思い浮かべる方もおられるかもしれません。
先ほどの依存症について語られる時に,「脳内報酬系」という言葉で説明がされることがあります。
簡単に解釈すると,脳が,お酒やギャンブルといった刺激から得た高揚感を,繰り返し求めるようになるということでしょうか。
そして,脳はその刺激に慣れてしまうため,徐々により大きな刺激を求めるようになる。
では,その過度に依存してしまうきっかけとなる,最初に高揚感を得る刺激を求めてしまう要因は何なのでしょう。
そこには,社会生活における生きづらさや不足感などからくる満たされない思いがあります。
その満たされない思いを,刺激から得る高揚感で埋めていく中で手放せなくなってしまう。
依存症を患ってしまう方の中には,本来はやすらぎの場であって欲しい家庭においても,様々なことが重なり,辛い思いで過ごしている方も少なくないようです。
そのような環境において,生き抜いていくため,否応なしに,何かしらに依存せざるを得ない方もおられるでしょう。
ただ,程度の差はあれ,私たちは何かに依存をして生きている。
脳内報酬系とは言わないまでも,ものの便利さや他者から与えられる愛情なども,徐々にそれが当たり前となっていく。そして,更に求めたり,異なるものを探してみたりを,私たちは繰り返していきます。
時には,否応なしにそれを失うことも経験しながら。
そうして,いずれ最後の最期には,それらはすべて手放さなければいけなくなる。
そうです。私たちの身体が機能しなくなる時です。
その時,私たちは何を思うのでしょう。
私も経験したことはありませんが,想像するに,「生きれてさえいればよかった」と思うのではないでしょうか。
今ここで,怒りや哀しみ,嬉しさといった感情を抱いて生きている。それ自体がとても尊いことだから。
そこに最大の価値があります。
こうして存在しているそれだけでいい。私たちの誰もが,本来,そのような存在です。
そして,たとえ一人きりで寂しかったり,不安であったとしても,誰一人として,私たちのつながりから外れている人なんていない。
でも,ついつい私たちは,自分を一番大切に思うからこそ,「人の役に立たなければ」とか「弱音を吐いちゃいけない」と,自分自身を叱咤激励し続け,なかなか認めようとはしません。
弱い自分であったり,人から認められない自分では,この社会を生き残れないと思ってしまうから。それもみんな一緒。
そうして,私たちの多くが,今のままでは何かか満たされない,不足しているという思いを抱いて生きています。
未熟さを感じている自分,人に対して否定的な感情を抱いている自分,寂しさを感じている自分,そう感じてる自分を責めている自分,そのありのままを,認めて許してあげていいのです。
だって,こうして生きているだけで,すでに認められている存在なのですから。
そして,今ここにあるものへ意識を向けていく。すると,心が満たされていきます。
そうしていくうちに,きっとその大らかさが,あなたの周りに広がって,いずれ,見えてくるものも変わってゆくはずです。
それもなかなかできず辛い時は,自分の内側へ降りていってみましょう。よろしければお手伝いします。
最期までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。