こんにちは。
みなさんは,自分は運がいいと思いますか,それとも悪いと感じているでしょうか。
運の捉え方も人それぞれかもしれませんね。どんな状態で運がいいと思えるか。
わかりやすいのは,宝くじが当たったというようなことかもしれませんね。
自分の事で恐縮ですが,私はくじに当たったためしがありません。
また,子どものころから,何か悪いことをしていて大人に見つかった時にも,逃げ足が遅くて,だいたい私は捕まってましたね 笑
なので,若い頃に「自分は運がいいな」と思ったようなことはなく,いつも悶々としていたように記憶しています。
でも,成長しいろいろと経験する中で,いつしか,この世は「自分の行ったことが返ってくるだけなんだな」と思うようになりました。
ですから,あまり期待することもない。だって,たいしたことはしていませんから 笑
そう考えてみると,いろいろあっても,今こうして充たされて生活できていることに「自分はついてるな」とも思っています。
いろんな方に支えていただいて,そうなっているということは,言うまでもありませんけども。
そして,それが今後,どうなっていくかはわかりません。
そんな私の半生を振り返ってみて,無意識にですが,一貫して行っていたことがあります。
それは,「自分の内側の感覚に従ってきた」ということです。
端的に言うと,「直感を信じた」ということでしょうか。
そのあたりの経緯については,プロフィールページ の最後にも書いていますので,よろしければご覧ください。
ですので,このブログも,自分の内側の感覚に促されて書いているところがあります。
それは,言葉で言い表しにくいのですが,フワッと心が軽くなる感じや,その方向や選択にGoサインが出てるような感覚だったりします。
そこに,損得勘定はありません。「それをしたらどんな利益が得られるか」と理屈では考えていないということですね。
そうしてみた結果が好ましくなければ,修正したり切り替えたりしていけばいいのです。
ですから「やらなきゃよかった」なんてこともないんですね。好ましくない結果も,きっと,これからのどこかの時点のいい結果につながってますから。
なんだか,話がそれてました。すみません。
どこの時点で,ついてるかどうかを判断するのか,という観点もありますよね。
例えば,見通しのいい道路で車を運転していて,速度にのったところで,自分の前で信号が赤に変わり停止しなければならなかった。これって,一見ついてないですよね。
でも,信号が青になって走り始めたら,前を走っていった車は,待ち構えていた白バイに気づかず,速度違反で捕まってしまっていた,なんてこともあります。
一見不運に思えても,それがその後どのように展開するかは,誰にもわからないのです。
そのあたりについては どう転ぶかわからない のブログに書いていますので,よろしければ読んでみてくださいね。
先はどう展開するかわからないのですから,自分が「ついてる(運がいい)」と思えるということは,前回のブログに書いた,「根拠のない自身」にも通ずるところがありそうです。
それは,自分の人生を信頼しているということ。
そうした意味では,何かついてないと思うようなことが起きた時に,その出来事の意図している意味を考えてみるのも面白いかもしれません。
「この出来事が,私の幸せに,今後,どうつながっていくのだろうか」または,「出来事は,私に何を教えてくれようとしているのだろう」といったように。
物ごとは,常に流動して移り変わっていきますので,いずれ,「この幸せを感じるために,あの出来事があったんだ」と思うようなことがきっと訪れるでしょう。
そもそも,こうして,運・不運を感じている時点でついてるということも言えそうです。
なぜなら,こうして生を受けて,五感でリアルに感じていること自体が貴重な経験だから。
私たちがこの世に誕生する確率は,一説では3億分の1なんだそうです。
ジャンボ宝くじが当たる確率が約2千万分の1だというから,こうして存在しているだけで,奇跡的についてるんですね。
存在していること自体がついてるんですから,一時的に不運に思うことがあっても,最終的には,ついてるところへ戻ってくるということ。
あなたの人生を信頼して大丈夫です。
最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。