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自立

 

みなさん,こんにちは。

 

先日,私宛に20歳の青年よりLINEのメッセージがありました。そこには「精神的に自立した人間になりたい,またでいいので意見を聞かせて欲しい」と書いてあります。

 

その時の私は酔っていて,「精神的に自立した人間」って違和感なく使うワードだけど,それについて意見するってなかなか難しいぞ,適当な返信はできないなと思いました。なので,その時は「どんな人をそういうのか考えてみる」と返信したのでした。

 

ということで,今回はこのブログで「精神的に自立した人」について考えつつ,思いつくままに書いてみたいと思います。

 

「自立」という単語を調べると,「自分以外のものの助けなしに,または支配を受けずに,自分の力で物事をやっていくこと」とあります。であれば,「精神的に自立した人」とは,精神的にそのような状態にあるということでしょうか。

 

また,「身体的に」や「経済的に」と「自立」の先に付けても,概念として成立しますし,精神的な自立は,身体的や経済的な自立とも切り離されたものでもありませんよね。

 

相談者の青年が,まだ社会人ではなく学生なのであれば,精神的に自立するにあたり,ゆくゆくは社会の中で役割を担い,それに対する対価を得て,経済的に自立していくことも考慮する必要があるでしょう。

 

「自立」とは別に「自律」という概念もありますよね。こちらは「自分の気ままを抑え,または自分の立てた規範に従って,自分の事は自分でやっていくこと」だそうです。こちらには,精神的な意味合いが含まれていて,その自立について説いてあるように感じます。

 

でも,この「自律」した大人ばかりだったら,自身の規範を押しつけ合うようなことも想像してしまいますよね。まあ,精神的に自立した人は,そんなこともしないのでしょうけども。

 

ただ,自分の基準があっても,それを必要以上には主張せず,一旦脇に置いておいて,集団や組織内の調整をしてくれる人も必ず存在します。

 

そして,社会は人と人とが関係し合って成り立っていますから,それぞれの関係において,少なからず相互に依存し合っています。

 

自分の事だからとすべてを自身で解決するということではなく,不得意なことや困った場面では,他者へ相談したり依頼したりということも必要なことでしょう。

 

そのあたりも考慮して,私なりに「自律」の言い回しを少し変えてみると,精神的に自立した人とは,「自身の情緒の安定を保ち,自分なりの基準を持って,支障なく社会生活を送っている人」とすると,しっくりくるような気がします。

 

中でも大切なのは情緒の安定ではないでしょうか。それがないと,自分の基準というものもブレてくるでしょうし,不安定であると,他者との関係性や社会的な役割の遂行においても支障が生じてきます。

 

逆に,私たちは情緒の安定(安心感)を得るために社会生活を送っている側面もあるのではないでしょうか。モヤモヤしているものを抱えて日々を過ごすのって,しんどいものです。

 

そのモヤモヤ感の元を辿っていくと,必ず「自分の存在が脅かされるかもしれない」という不安に繋がっています。

 

私たちは通常,この身体を持って他者と関係しながら社会生活を送っていると認識していますから,その身体の安全や社会の中での存在価値を,無意識に推し量りつつ過ごしている。

 

そして,そこを刺激されて湧いてきた否定的な感情や思いも,自身の考えとして取り込みながら。

 

しかし,私たちは,その思いやモヤモヤ感があること自体も認識しています。

 

ある意味,そうして認識できるものは,自分とは別なるものとも言えるのです。

 

本来的には,そこにある思いや感情も含めて,こうして社会の中で関係し合えていること,そして,それに気づいている私たちが在ること自体に価値があります

 

相談者の青年は,何かを経験し自身の未熟さを感じて「精神的に自立した人間になりたい」と思った。その経験自体が貴重であって,そこで自身が認識した思いや感情をしっかり感じ,それが湧いてきたことを認めてあげればそれでいいのです。

 

すると,認めてもらったモヤモヤ感は,しだいに落ち着いていき,そのうちに過ぎ去っていきます。

 

これは,そんな自分を認めて受け入れるということ。けっして開き直るということではなく。

 

そうして充たされて過ごしているうちに,きっと「精神的に自立した人」に近づいていることでしょう。

 

最後までブログを読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

このブログを青年に読んでもらうことにします。

 

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