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比較すること

 

みなさん,こんにちは。

 

私たちは,他の人と自分を比較することで,自分のことを把握しています。他の人がいることで,自分というものが認識できるのですね。そして,他の人と自分を比べることは必要なことで,比較なくして,私たちは社会生活を送ることはできません。

 

しかし,自分にできないことを他の人ができていたり,収入やSNSのいいね♪の数などを数値で示され,自分のそれが低かったりすると,ついつい比べてしまって,モヤモヤした気持ちになったりします。

 

他の人との比較でなくても,社会一般的に多くの人がしていることや,平均値として示された数値などと,自分の状態とを比較することもあるのではないでしょうか。私もついついそうしてしまう一人です。

 

比較することは,「大きい・小さい」「良い・悪い」「きれい・汚い」というものであったり,社会的な常識や多数意見であることだったりします。そして,社会的常識や多数意見も,最終的には「良い・悪い」や「多い・少ない」という比較になってきます。

 

これまでのブログでも書いてきましたが,「良い・悪い」「多い・少ない」といったものは,どちらか一方だけでは成り立ちません。「悪い」があるから「良い」も存在することができるんですね。二つで一つのセットになっています。

 

ですので,どちらの存在も必要で価値があるのですね。「良い・悪い」ということは,以前の 良いのか悪いのか というブログに,それは立場や時代によって変わるものであることを書いています。

 

別の例え方をしてみると,坂道を上から見るか,それとも下から見るかという表現もできます。長い坂道を上から下るだけだと楽そうですし,下から上るとなるとしんどそうですよね。

 

私たちの持つ性質が,いわば坂道のようなものです。一方から見ると良い事になりますが,その反対から見ると悪い事にもなってしまいます。物事をはっきりと言う人は,裏表がなくて理解しやすいですが,時には人を傷つけてしまうかもしれませんよね。

 

ですので,私たちが比較していることの本質は,大小といった,どちらにも価値があるものの一方から見てしまっていたり,本来的には良くも悪くもなく,プラスでもマイナスでもないことを,悪いほうから見てしまっていたりするんですね。

 

どうせ見るのであれば,良い方から見るようにした方が気持ちが楽ですし,いずれにしても,良くて多い方も,悪くて少ない方も,他方がいないと成立ないので,どちらも必要で価値があるんですね。なので,ありのまま,そのままでいいのです。

 

ただ,悪くても開き直ってればいいということではないですよね。社会生活を送るにはルールがありますので,それはわきまえる必要はあります。良いとか悪いとか判断するその前提として,私たちは誰しもが,既に,比較のしようもない価値を持っているということです。

 

もしかすると,自分だけでなく,お子さんの持ったものと社会的常識とされることなどとを比較して,つらい思いをされている方もおられるかもしれません。これまで書いたように,私たち誰もが価値を有しています。お子さんもですが,まずは親御さんご自身がご自分を大切に,その価値のあるご自身をぜひ認めていただければと思います。

 

お子さんが社会的に少数派であるとしても,例えば,感受性の豊かさや繊細さ,言葉にできなくても,態度やその他の方法で表出される暖かな表現など,きっと多数派にはないものを持っています。親御さんの人生と共にお子さんの人生も信頼していいのです。

 

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