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存在価値

 

みなさん,こんにちは。

 

今回は,私たち人間の存在価値ということについて書いてみます。

 

私を含め多くの人は,「このままでいいのだろうか」と常に自身に問いかけ,何かが不足しているような感覚を少なからず抱いていないでしょうか。それは,一生懸命に生きている人ほどそうかもしれません。

 

人というのは,そうして,いつも自身の存在価値を推し量っていて,それは心理状態とも強く結びついています。

 

自身で「価値がある(これでいい)」と感じられていれば,心理的にも安定していますし,逆に「価値がない(これじゃダメ)」となると,モヤモヤしたものを抱え,気分も乗ってこないという経験は誰にでもあるでしょう。

 

でも,「価値がある(これでいい)」と思えてる期間ってそう長くはないのではないでしょうか?

 

価値を感じれてたとしても,すぐに「価値があるの?(これでいいの?)」と変わっていってしまいます。

 

努力して何かを成し遂げたり,社会的に認知されている肩書きに就いたりした時には,達成感や充実感を感じますが,しばらくすると,それだけでは何か不足しているように感じ始め,次なる目標を掲げたり,その地位を保つために必要な何かを探し出したりしてしまう。

 

私たちの多くは,自身を「個」として生きてていると捉えていますから,その「個」の存続を考えた場合,社会的に価値がある何かを得たり,行ったりする必要性が生じてきます。

 

社会的に価値があるものを平たく言えば,お金や高いとされる地位,整った容姿などが代表されるでしょう。または,それらを生み出したり,他のためとなるような仕事に従事したりすること。

 

そうすることで,私たちは心の安定を図っている一面があるのです。

 

社会的に価値があるとされることは,他の役に立っているかどうかという,いわゆる「有用価値」と言えるでしょう。そして,それがないと,私たちは「個」の存続が危ぶまれると思ってしまう。

 

ですから,自身の「有用価値」が足りていないのではないかという不足感や,今あるものをなくしてしまうのではという不安を感じてしまうのです。

 

しかし,「有用価値」って相対的なものです。お金を多く持っているのは,持っていない人がいるからですし,大きな会社の社長として存在できるのは,社員がいてくれるからですよね。誰もが長者番付の一番となることや総理大臣であるはずなんかありえない。

 

人の役に立つためには,役立っていない人が必要にもなりますし…。

 

そうすると,「有用価値」を求めていては,終わりがないということになります。

 

沢山のお金を持っていたり,何かしらの高いとされる地位にある人も,その多くは常に不安と背中合わせなのです。

 

松原泰道元龍源寺ご住職は,その著書に『一つのものが「ある」ように見えるのは,それだけが単一に「ある」のではなく,網の目のようにいろいろのものがかかわりあい,助成しあい,そしてそれが総合され合成された現象として「ある」のです』と書かれています。

 

私たちの存在は,そのようにすべてのものと繋がった中で現れた,一つの網の結び目のようなものに過ぎないということです。そして,それは常に流動して移ろっている中における一時的なもの。

 

ですので,「有用価値」を求めていたのでは,そこから来る心の安定も一時的なものということになってしまいます。

 

オーストリアの精神科医であったヴィクトール・フランクルは,その著書の中に,人間に与えられている三つの価値(創造価値・体験価値・態度価値)について書いています。

 

私たち人間は,その人生において,独自なものを創造してそれを体験する価値を持っている。そして,たとえその創造や体験ができなかったとしても,その与えられた運命に対して,どのような態度で臨むかという価値が常にあるということ。

 

これは,私たちがどのような状態にあろうとも,つながりの中にそうして「ある」だけで「絶対的価値」を有しているということです。

 

そうだとすると,私たちは既に絶対的な価値があるにも関わらず,それを忘れてしまって,その上で成り立っている流動的な有用価値を求めてしまっていると言えるのかもしれません。

 

どんなに目の前の出来事に翻弄されていようとも,私たちには,その前提として絶対的な価値があるということを頭の片隅にでも留めておきたいですね。

 

そして,それは理屈ではなく,大きく深く呼吸して,本来の自己に気づいてみれば,誰もがいつも感じられるものです。

 

ブログを最後まで読んでくださり,どうもありがとうございます。

 

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